可足渾氏
publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19
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生没年不詳。慕容儁の皇后。景昭皇后。慕容暐、慕容沖の母。猜疑心や妬心が強く、慕容垂の妻である段氏を死に至らしめたため、慕容垂とは徹底的に仲違いした。権力掌握を目指した慕輿根に利用されたり、慕容垂の誅殺を企むなど、前燕滅亡の遠因となった。
関連
劉彧
439年-472年。字は休炳。劉宋の第6代皇帝。明帝。劉義隆の第11子。甥劉子業が暴虐であったため、殺害して皇帝に即位した。しかし世論を得られず反乱が頻発し、北魏の侵攻、財政難、賄賂の横行などに苦慮した。降伏には寛容である一方で多くの皇族を処刑した。在位6年。
拓跋孤
生没年不詳。拓跋鬱律の子。拓跋翳槐、拓跋什翼犍の弟。拓跋翳槐が死去したとき、後継の拓跋什翼犍が遠地の人質だったため代わって諸族に擁立されたが、長幼を重んじて自ら鄴へ赴き人質の交換を申し出た。領土の半分を統治する強権を持ったが、その地位は子の拓跋斤には継承されなかった。
乞伏乾帰
?-412年。字は高祖。西秦の第2代の王。武元王。乞伏国仁の弟。始め前秦の苻登に従ったが苻登が戦死すると子の苻崇を攻撃し前秦を滅ぼした。亡命を繰り返すも自己の勢力を保持し続け後秦の衰退が顕著になると再び独立した。甥の乞伏公府に殺害される。