可足渾氏 ( かそくこんし )

publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19

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生没年不詳。慕容儁の皇后。景昭皇后。慕容暐、慕容沖の母。猜疑心や妬心が強く、慕容垂の妻である段氏を死に至らしめたため、慕容垂とは徹底的に仲違いした。権力掌握を目指した慕輿根に利用されたり、慕容垂の誅殺を企むなど、前燕滅亡の遠因となった。

関連

源賀

407年-479年。禿髪傉檀の子。元の姓名を禿髪破羌という。西秦によって南涼が滅亡すると北涼、次いで北魏に亡命した。北涼攻略では先導を務めて功を立てた。拓跋余が宗愛に殺害されると、禁軍を率いて宮中を制圧し拓跋濬を擁立した。病没。

楊忠

507年-568年。小名は奴奴。弘農郡華陰県の人。弘農楊氏を称したが出自は武川鎮とされる。楊禎の子。隋の文帝・楊堅の父。体躯に恵まれて武芸に優れた。一時梁に抑留されたほか、独孤信とともに梁への亡命を経て西魏へ帰順した。宇文護からは遠ざけられたが官職を全うした。病没。

杜洪

?-352年。京兆郡の人。冉閔と石祗が対立すると、王朗、麻秋は長安から洛陽に入ったため、張琚と共に関中を占拠した。枋頭から関中攻略を目指して西進する苻健に敗れ、司竹、宜秋に逃れた。張琚によって殺害されたとも、苻健の攻撃によって敗死したともある。

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