可足渾氏
publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19
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生没年不詳。慕容儁の皇后。景昭皇后。慕容暐、慕容沖の母。猜疑心や妬心が強く、慕容垂の妻である段氏を死に至らしめたため、慕容垂とは徹底的に仲違いした。権力掌握を目指した慕輿根に利用されたり、慕容垂の誅殺を企むなど、前燕滅亡の遠因となった。
関連
杜洪
?-352年。京兆郡の人。冉閔と石祗が対立すると、王朗、麻秋は長安から洛陽に入ったため、張琚と共に関中を占拠した。枋頭から関中攻略を目指して西進する苻健に敗れ、司竹、宜秋に逃れた。張琚によって殺害されたとも、苻健の攻撃によって敗死したともある。
蔡倫
50年?-121年?。字は敬仲。荊州桂陽郡耒陽県の人。明帝の治世に宦官として登用され、学問や工作を得意とし誠実な振る舞いが評価されて昇進した。製紙法を改良して、紙の実用化に大きく貢献した。安帝の祖母・宋貴人の呪詛の罪を報告したのが蔡倫であったとして賜死を受けた。
庾冰
296年-344年。字は季堅。庾琛の子。一族と共に江南に移り、華軼の討伐に功を成した。蘇峻の乱では敗退して王舒の属官を務めたが、乱の鎮圧後は荊州に赴任する兄に代わって中央職を歴任した。幼帝の即位と後見を巡って何充と争った。庾翼の後援として江州刺史となった。病没。