寇恂
publish: 2021-08-12, update: 2026-04-19
?-36年。字は子翼。上谷郡昌平県の人。上谷郡の功曹を務めた。太守・耿況を説いて劉秀に従った。河内太守を務めて鄧禹からは蕭何に比された。軍事、外交に優れる一方で、地方統治にも優れ、執金吾に栄転すると領民からは慰留の陳情が上がった。執金吾、雍奴侯。
法に厳格で、鷹揚な賈復とは不仲だった。
関連
馮弘
?-438年。字は文通。北燕の第3代天王。昭成帝。馮安の子。馮跋の弟。馮跋が病床に伏せると外戚の宋氏が馮翼の廃嫡を謀ったため乗じて反乱を起こした。馮跋が病没すると天王に即位し馮翼を殺害した。北魏の攻撃を受けて高句麗に亡命するが北魏を恐れる高句麗によって殺害された。
王曇首
394年-430年。字は子陵。琅邪郡臨沂県の人。王珣の子。劉義隆に仕えて属官として昇進し、劉義隆の即位に伴って中央に入り、侍中、驍騎将軍を務めた。王華らと共に劉義隆政権の確立に務め、その功は多大であった。兄・王弘が劉義康から妬まれたとき、兵を分配することを勧めた。
王元姫
217年-268年。東海郡郯県の人。王粛の娘。司馬昭の妻。司馬炎の母。幼くして礼節と孝行を持ち合わせ祖父の王朗からは男子でないことを惜しまれた。鍾会の禍を予見した。没後も質素と謙譲の姿が偲ばれ、その都度親族の女性への追贈がなされた。諡は明。文明皇后。