寇恂
publish: 2021-08-12, update: 2026-04-19
?-36年。字は子翼。上谷郡昌平県の人。上谷郡の功曹を務めた。太守・耿況を説いて劉秀に従った。河内太守を務めて鄧禹からは蕭何に比された。軍事、外交に優れる一方で、地方統治にも優れ、執金吾に栄転すると領民からは慰留の陳情が上がった。執金吾、雍奴侯。
法に厳格で、鷹揚な賈復とは不仲だった。
関連
慕容会
?-397年。清河王。慕容宝の庶子。慕容垂に皇太孫とされたが、父、兄弟と折り合いが悪く慕容垂の死後、廃された。龍城に駐屯して北魏に敗れた父を救ったが、軍を取り上げられて慕容農と慕容隆に分配されたため、二人の暗殺を謀った。暴挙を知った慕容宝と交戦するも敗北し、中山へ逃亡したところを慕容詳に捕殺された。
楊震
54年-124年。字は伯起。弘農郡華陰県の人。楊宝の子。前漢の楊喜を祖とする名家の出身。長らく仕官せず50歳で鄧騭の推挙を受けた。荊州刺史、東萊太守などを歴任し、中央に召されて太僕、太常、太尉を務めた。鄧氏の失脚後は王聖、伯栄、閻顕、耿宝、樊豊ら佞人の讒言を受け免官、蟄居した。自害。
宇文覚
542年-557年。北周の初代天王。宇文泰の第3子。宇文泰の死後、宇文護に擁立されて元恭から禅譲を受け天王として即位した。宇文護の傀儡であり、宇文護を排除するべく計画を立てるが露見し、廃位、殺害された。在位は1年に満たない。