寇恂
publish: 2021-08-12, update: 2026-04-19
?-36年。字は子翼。上谷郡昌平県の人。上谷郡の功曹を務めた。太守・耿況を説いて劉秀に従った。河内太守を務めて鄧禹からは蕭何に比された。軍事、外交に優れる一方で、地方統治にも優れ、執金吾に栄転すると領民からは慰留の陳情が上がった。執金吾、雍奴侯。
法に厳格で、鷹揚な賈復とは不仲だった。
関連
宇文憲
544年-578年。字は毗賀突。宇文泰の子。北周建国時に幼くして既に重臣の身であり、益州総管としての治政は善政と評価される。斛律光を相手に善戦し、人心掌握にも優れて人望が厚かった。専横する宇文護の信任を得て朝廷内の調整役を担った。宇文邕の死後、その権威を恐れた宇文贇に殺害された。
姚襄
331年-357年。字は景国。姚弋仲の子。姚萇の兄。父の死後、前秦と戦いつつ河北を南下した。淮南に駐屯して東晋の藩屏を成したが、東晋の揚州刺史・殷浩と対立し前燕へ帰順した。許昌、洛陽、平陽と徐々に西進し、関中の攻略を目論んだが、苻黄眉らに敗北し処刑された。
范曄
398年-445年。字は蔚宗。南陽郡順陽県の人。会稽郡山陰県の生まれ。范寧の孫。范泰の子。名門、順陽范氏の人。奇特ともいうべき奔放さがあり、度々不祥事を起こしては避難を買った。左遷された任地で『後漢書』を編纂した。後に、劉義康の反乱に加担したとして処刑され、一門は断絶した。