李虎
publish: 2021-05-16, update: 2026-04-19
?-551年。字は文彬。李天錫の子。代郡武川鎮の人。六鎮の乱では賀抜岳に従い、賀抜岳の死後は宇文泰に従った。西魏の武将として各地に従軍し、少保、隴西郡公まで昇る。病没。孫の李淵は唐の皇帝となった。北周から唐国公が贈られ後の唐の国号となった。
八柱国における李虎の序列に関しては、後世の忖度を受けている疑義がある。
関連
于謹
493年-568年。字は思敬。小名は巨弥。河南郡洛陽県の人。于提の子。六鎮の乱では元纂、元淵の配下として軍事に預かった。爾朱天光の下で賀抜岳、宇文泰の信頼を得た。北周成立時は宇文護の政権掌握に加担した。病没。孫氏の兵書を好んだ。元天穆に王佐の材と評された。
慕容評
生没年不詳。慕容廆の子。軍を率いては功を重ね、慕容恪とともに朝政を管掌した。しかし統治には暗く、慕容垂を政敵として離反させ、慕容恪の死後は政治が腐敗した。前秦の攻撃を受けて高句麗へ亡命したが捕縛、送還された。苻堅によって范陽郡太守に任じられ、任地にて没した。
馬武
?-61年。字は子張。緑林軍で早くから劉演、劉玄に従った。劉秀とも協調し、謝躬の配下として昆陽の戦いや河北平定で劉秀を援けた。王郎討伐後は劉秀に従い、以後、多くの前線を受け持った。酒好きで直言する癖があったが、根は謙虚であり敵を作らなかった。捕虜将軍、楊虚侯。