梁冀 ( りょうき )

publish: 2021-08-11, update: 2026-04-19

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?-159年。字は伯卓。安定郡烏氏県の人。梁商の子。酒と遊びを好み学問に疎かったが、二人の妹を皇后としたため、侍中、執金吾、河南尹などを歴任し父の死後は大将軍を継いだ。性は傲慢、強欲であり朝政を壟断し質帝・劉纘から跋扈将軍と揶揄された。皇帝の弑逆など数々の悪事が残る。桓帝と謀った単超らに逮捕され自害した。

関連

李雄

274年-334年。巴氐の出身。成漢の創設者。武帝。益州刺史羅尚を撤退させ成都を完全に制圧すると、成都王を称して成漢を成立させた。断続的に東晋と係争し漢中・巴東・寧州を攻略する一方で、前涼の張駿が東晋への臣従を勧めたときには一定の理解を示した。在位は30年に及ぶ。

苻訓英

?-407年。慕容熙の皇后。苻謨の娘。慕容垂が後燕を立てたとき、苻氏の一部が取り立てられ父・苻謨が中山尹となった。慕容詳の反乱で父が殺されると、逃れて慕容熙の妻妾となり後に皇后となった。姉の苻娀娥と共に絶世の美女と評され、文字通りの傾国となった。

袁紹

?-202年。字は本初。汝南郡汝陽県の人。何進の属官となって以後、昇進して西園八校尉など務めた。何進の死後、宦官を排斥し、董卓と対立すると冀州を拠点に群雄として割拠した。河北四州を統べて一大勢力を築くが、官渡の戦いで曹操に敗北して以降は衰退した。勢力回復に奔走するなか病没した。

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