石弘 ( せきこう )

publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19

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313年-334年。字は大雅。後趙の第2代皇帝。海陽王。石勒の次子。石勒の死後、石虎を恐れて帝位を譲ろうとするも、石虎に拒まれて強制的に皇帝に即位した。しかし、実質は石虎の傀儡であり石虎の権力掌握は進んだ。その後、石虎によって廃位され殺害された。在位1年。

関連

劉準

469年-479年。字は仲謀。劉宋の第8代皇帝。順帝。劉彧の第3子。兄劉昱が蕭道成に殺害されると蕭道成によって擁立された。沈攸之、袁粲は蕭道成打倒に挙兵するが、いずれも鎮圧された。蕭道成に禅譲を迫られ汝陰王に降格された。後に殺害された。在位2年。

慕輿根

?-360年。鮮卑の人。早くから慕容皝に服属し、将軍として頭角を現した。後趙戦線で活躍し前燕の中原進出に大きく貢献して太師まで昇った。慕容儁の死後は、傲慢で詭弁を弄し反意を抱いたため、慕容恪によって誅殺された。

岑彭

?-35年。字は君然。南陽郡棘陽県の人。王莽政権下で棘陽県令を務め、南陽太守の甄阜と共に劉玄、劉縯と戦った。降伏すると義士と評され劉縯に従った。劉縯の死後は朱鮪の属官を経て潁川太守となった。劉秀の攻略に降り朱鮪を説いた。蜀攻略では水軍を率いたが、公孫述の刺客に殺害された。征南大将軍、舞陽侯。

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