石弘
publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19
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313年-334年。字は大雅。後趙の第2代皇帝。海陽王。石勒の次子。石勒の死後、石虎を恐れて帝位を譲ろうとするも、石虎に拒まれて強制的に皇帝に即位した。しかし、実質は石虎の傀儡であり石虎の権力掌握は進んだ。その後、石虎によって廃位され殺害された。在位1年。
関連
拓跋嗣
392年-423年。北魏の第2代皇帝。明元帝。拓跋珪の第1子。父拓跋珪が弟拓跋紹に殺害されると、拓跋紹を討って皇帝に即位した。崔宏、崔浩を重用した。周辺諸国と絶えず係争し北魏による華北統一の道筋を作った。宋との戦役中に陣没した。在位14年。
苟晞
?-311年。字は道将。貧しい家の生まれだったが、東海王・司馬越に招聘されて、陽平郡太守まで昇進した。八王の乱では、主に司馬越に従い、公師藩、劉喬、汲桑らを討伐し、威光を高めた。青州刺史として曹嶷らと争った。後に司馬越と対立し、司馬越の死後、石勒によって滅ぼされた。有能であったが過酷でもあった。
劉楨
?-217年。字は公幹。東平郡寧陽県の人。劉梁の孫。曹操の辟召に応じて丞相掾属、平原侯庶子、五官将文学を務めた。曹丕、曹植と親交したが、曹丕の夫人・甄氏を平視した不敬で朝歌県県令に左遷された。誠実で才能があるが自制や遠慮に乏しいと王昶に評された。病没。著作は『詩品』に残る。