釈道安
publish: 2021-08-19, update: 2026-04-19
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314年-385年。姓は衛。常山郡扶柳県の人。12歳で出家し仏図澄を師とした。仏図澄の死後は各地を流転し門徒を増やした。襄陽に移って檀渓寺に住む頃には盛況した。前秦の襄陽攻略で長安に連行され、以後苻堅をパトロンとした。仏教の研究のほか、鳩摩羅什の招聘や東晋遠征の反対などの建言を行った。
当時の仏教は、古来の思想や価値観に当てはめて解釈するのが主流であったが(これを格義仏教という)、釈道安は仏教本来の用語や概念によって解釈されなければならないと主張し、後世の仏教に大きな修正をもたらした。
関連
司馬休之
?-417年。字は季豫。譙王の司馬恬の子。司馬懿の弟・司馬進の来孫にあたる。荊州刺史を務めたが桓玄に追われて南燕に亡命し、桓玄の滅亡後に帰国した。後秦や北魏の支援を受けて劉裕と敵対するが、敗れて長安に逃れ、続けて後秦が滅びると北魏の庇護を受けた。病没。
李農
?-350年。後趙の司空。石虎の死後、張豺と敵対し、張挙に助けられて石遵に従った。冉閔に同調して石遵の廃位に関わったため、内外に政敵を作った。冉閔が帝位につくと斉王に封じられたが、最後はその権勢を恐れた冉閔に誅殺された。
段韶
?-571年。字は孝先、小名は鉄伐。武威郡姑臧県の人。段栄の子。母・婁信相が高歓の妻・婁昭君の姉であったため高歓から信任され栄転した。歴戦の将軍でありながら地方行政の治績が高く宰相職を歴任した。斛律光、高粛ともに北斉を支えた重鎮。病没。