張駿 ( ちょうしゅん )

publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19

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307年-346年。字は公庭。前涼の第4代君主。文公。張寔の子。張茂の跡を継ぐ。このとき前涼は東晋と前趙の両国に臣従していたが、前趙が後趙に対して劣勢になると前趙から受けた官爵を廃した。涼州・河州・沙州を定め前涼の最盛期を現出した。病により死去。在位22年。

関連

張瓘

?-359年。宗族だが系譜は不明。張駿の代に、寧戎校尉、河州刺史を歴任して強勢を作った。張祚討伐のための挙兵を成功させ、張玄靚の輔弼の筆頭となった。宋混を恐れて誅殺しようとしたが、事前に察知した宋混の攻撃を受け、自害した。猜疑心が強く、苛虐であった。

張軌

255年-314年。字は士彦。前涼の創建者。武公。八王の乱により中央が乱れると涼州刺史を望んで赴任した。涼州に独自の勢力を築いたが一貫して西晋への臣従を貫いた。洛陽失陥以後、前趙の首都平陽の攻略の計画するが実行されなかった。病のため死去。

司馬紹

299年-325年。字は道畿。東晋の第2代皇帝。明帝。司馬睿の第1子。司馬睿の死去により即位する。緊張関係にあった王敦に討伐の勅命を出し、王敦の病死も重なって王敦の乱を収束させた。司馬昭による簒奪の経緯を知り皇統の存続を危ぶんだという。若くして病没。在位2年。

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