陸抗 ( りくこう )

publish: 2021-08-21, update: 2026-04-19

226年-274年。字は幼節。呉郡呉県の人。陸遜の子。母は孫策の娘、妻は張承の娘で諸葛恪の姪。陸遜が死去すると建業に赴き父の生前の疑惑を解いた。後に孫権から陸遜の冤罪について謝罪を受けた。荊州に駐屯し羊祜と鎬を削ったほか、個人的な親交を結んで羊陸之交の故事成語を残した。大司馬、荊州牧まで昇る。

関連

荀攸

157年-214年。字は公達。潁川郡潁陰県の人。荀彝の子。何進が名士を集った時の一人として黄門侍郎を拝した。董卓暗殺を企てて投獄され、董卓の死後、献帝を擁立する曹操に仕えた。多くの献策と推挙を行って魏の創業に大きく貢献した。孫権征討の従軍中に没した。諡は敬。陵樹亭侯。

劉纘

138年-146年。質帝。後漢の第10代皇帝。勃海王・劉鴻の子。千乗王・劉伉の曾孫。梁冀により擁立された。梁冀の専横を誰も咎めない朝廷を見かねて、僅か8歳にして梁冀を跋扈将軍と揶揄して譴責した。その聡明さと気概を恐れた梁冀によって毒殺された。

斛律光

515年-572年。字は明月。斛律金の第1子。父に従い初陣で宇文泰の長史・莫者暉を討ち取った。大鵰(オオワシ)を射止めたことから落鵰都督と呼ばれ、高歓、高澄に厚く任用された。娘に皇后を輩出するなど一族揃って栄転したが、祖珽や穆提婆の恨みを買い、讒言を受けた高緯に処刑された。

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