慕容鍾 ( ぼようしょう )

publish: 2026-04-16, update: 2026-04-19

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生没年不詳。 字は道明。 慕容運の孫。 慕容制の子。 始め西燕に属して慕容永に従ったが、後に妻子を捨てて後燕に離反した。 慕容徳を補佐した南燕創業の功臣で、司徒、都督中外諸軍事、録尚書事など重職を務めた。 慕容超が即位すると失脚し、慕容法、段宏らと反乱したが失敗、後秦へ亡命した。

慕容永は父が不明ながら慕容鍾と同じく慕容運の孫であるため、慕容永は慕容鍾の従兄弟にあたる。

関連

陸倕

470年-526年。字は佐公。呉郡呉県の人。陸慧曉の子。若くして文章を得意とし、蕭子良の西低に加わった。同じく文章を得意とした任昉と懇意であり共に研鑽した。諸王の属官を転々と務めて後に揚州大中正などを務めた。人付き合いを避けて読書に没頭し暗記力に優れた。

賈南風

257年-300年。司馬衷の皇后。賈充の3女。嫉妬深く権謀を好んだ。司馬炎からは5つの欠点を指摘されたが、賈充派の強い後押しがあって太子妃となった。楊駿の殺害後は八王の乱の中心人物となり、司馬亮、衛瓘を初めとする宗族や重臣を粛清した。皇太子・司馬遹殺害の罪で、司馬倫に処刑された。

王永

?-386年。北海郡劇県の人。王猛の子。扶風郡太守を務め幽州刺史となった。淝水の戦い以後、続発する反乱に尽力した。苻堅の処刑が河北に伝わると、苻丕を皇帝に推戴し諸国へ檄を飛ばした。晋陽を拠点として交戦したが、西燕の攻撃を受けて戦死した。

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