王覇
publish: 2021-10-04, update: 2026-04-19
?-59年。字は元伯。潁川郡潁陽県の人。元は獄吏だった。劉秀が潁川に至って以来その創業に参加した。河北平定では、進退窮まった一行に虖池河が凍り付いて渡河が可能であると偽りの報告をし、事実凍っていたため活路を見出した逸話がある。河北の苦難から「疾風、勁草を知る」と劉秀に評された。杜茂、馬成とともに長らく北辺に鎮した。上谷太守、淮陵侯。
関連
劉隆
?-57年。字は元伯。劉礼の子。長沙王・劉発、および安衆侯・劉丹の末裔で、劉秀とは同じ南陽劉氏で遠い縁戚にあたる。劉玄から騎都尉を任命されたが、劉秀に合流した。南郡太守を務めたとき不正により一時庶民に落された。呉漢の死後は、大司馬を兼任した。驃騎将軍、慎侯。
陽騖
?-367年。字は士秋。右北平郡無終県の人。漢人。陽耽の子。慕容廆の代に多く献策し重用された。遼東郡太守、左長史、司隷校尉を歴任した。輔義将軍として三輔と称され中原進出の中核を担った。尚書令、司空などの顕職を歴任し誤りが無かった。病没。
苻洪
284年?-350年。字は広世。元の姓を蒲とする。氐の出身。前趙、後趙に従い、石虎の代には使持節、都督六夷諸軍事、冠軍大将軍を受任し、西平郡公に封じられた。石虎の死後は冉閔と対立し、関中一帯に自立したが、麻秋に毒殺された。その勢力は子の苻健に引き継がれ、前秦の実質的な創建者と捉えられる。