王覇
publish: 2021-10-04, update: 2026-04-19
?-59年。字は元伯。潁川郡潁陽県の人。元は獄吏だった。劉秀が潁川に至って以来その創業に参加した。河北平定では、進退窮まった一行に虖池河が凍り付いて渡河が可能であると偽りの報告をし、事実凍っていたため活路を見出した逸話がある。河北の苦難から「疾風、勁草を知る」と劉秀に評された。杜茂、馬成とともに長らく北辺に鎮した。上谷太守、淮陵侯。
関連
苻生
335年-357年。字は長生。前秦の第2代皇帝。厲王。苻健の三男。苻健の死後、皇帝に即位した。漢中攻略を目論む姚襄を敗死させた。残虐な性格で粛清を多く行ったため人心を失った。政変を決行した苻堅に殺害された。在位3年。
張賓
?-322年。字は孟孫。趙郡中丘県の人。漢人。張瑶の子。張宝とも。初め西晋に仕官したが望みを得ず辞職した。石勒が中原に進出すると自ら出仕し、早くから側近としての信任を得た。王弥暗殺の計画をはじめ、多くの遠謀を持って石勒の絶大な待遇を得てなお、処世に誤りが無かった。病没。
劉喬
249年-311年。字は仲彦。南陽郡安衆県の人。劉阜の子。前漢の長沙王・劉発の末裔。王戎の属官となり呉征伐の功で滎陽県令となった。楊駿の誅殺や賈氏の排斥に協力し昇進を重ねた。豫州刺史として張昌の乱を鎮め、承制する司馬越に反発した。司馬越が実権を握ると許されたが、司馬越の死後、石勒の攻撃により捕縛、処刑された。