宇文導
publish: 2022-02-12, update: 2026-04-19
511年-554年。字は菩薩。宇文顥の子。宇文泰の甥。北鎮の乱では宇文泰とともに葛栄の軍に加わり後に賀抜岳に従った。東魏戦線では主に留守役を務めて、後備えとして前線を支えたほか、内地の反乱にも対応して、西魏体制の恒久化に貢献した。章武郡開国公まで昇り、皇族に次いで序列が高い。
関連
謝恵連
397年-433年。陳郡陽夏県の人。謝方明の子。何長瑜に師事し文才で名を挙げた。男色関係があったほか、喪中に詩を贈ったとして流刑となった。才能を愛した殷景仁に弁護され彭城王・劉義康の属官となった。残した詩文は美文として評価される。
高肇
?-515年。字は首文。高颺の子。高照容の兄。外戚。渤海郡蓨県の人。元恪の代に尚書令、平原郡公まで昇る。元詳、于皇后、元昌、元愉、元勰の死に関与したほか、多くの諸王を幽閉した。元詡が即位すると、元雍や于忠らによって排除が計画され参朝するところを殺害された。
張方
?-306年。寒門の出身だったが、関中を統治した司馬顒に仕官して累進した。以降、司馬顒、司馬穎の一派として、司馬倫、司馬乂、司馬越と戦って軍の中核を成した。後に、司馬顒の敗色が濃厚になると、謀叛の罪を着せられて司馬顒に殺害された。