徐光
publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19
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?-333年。字は季武。頓丘郡の人。張賓の死後、石勒に重用された。父の徐聡は牛医であったが、戦乱のため幼くして王陽に捕らえられ労働に従事した。学識を認められ石勒に取り立てられた。石勒の不興を買って一時幽閉されるが、後に許され顕職を務めた。石勒の死後、石虎に誅殺された。
関連
申鍾
生没年不詳。魏郡魏県の人。後趙に仕えて侍中、司徒を歴任した。石虎の横暴を諫めた争臣としての逸話が残る。冉閔が魏を建国すると、これに従い太尉となった。前燕によって冉閔が滅亡すると、捕縛されて薊に送られるが、許されて慕容儁に登用された。その後の事跡は不明。
朱儁
?-195年。字は公偉。会稽郡上虞県の人。郡県の吏人を経て孝廉に挙がり、蘭陵県令、交州刺史、諫議大夫と昇進した。黄巾の乱以後は、反乱鎮圧に転戦して顕官を歴任した。董卓が長安へ遷都すると独自路線をとって陶謙、孔融らの支持を得た。董卓の死後、再度入朝して李傕らを調停したが、郭汜に囚われて間もなく病没した。
邳彤
?-30年。字は偉君。信都郡信都県の人。王莽政権では和成郡太守を務め、劉秀が平定に入るとそのまま留任した。王郎の挙兵に靡かず一貫して劉秀を支援した。劉秀が信都郡に入ったとき長安へ帰還する案が多数を占めるなか、王郎を討って河北を平定する利を説いた。太常、霊寿侯。