徐光 ( じょこう )

publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19

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?-333年。字は季武。頓丘郡の人。張賓の死後、石勒に重用された。父の徐聡は牛医であったが、戦乱のため幼くして王陽に捕らえられ労働に従事した。学識を認められ石勒に取り立てられた。石勒の不興を買って一時幽閉されるが、後に許され顕職を務めた。石勒の死後、石虎に誅殺された。

関連

赫連昌

?-434年。字は還国。夏の第2代皇帝。赫連勃勃の第3子。廃太子された赫連璝が立太子された赫連倫を攻撃し敗死させると、赫連璝を討って太子となった。西方では優位を維持したが、北魏に対しては各地で敗北を重ね安定で北魏に捕らえられた。助命されるが後に殺された。

陳慶之

484年-539年。字は子雲。斉代から蕭衍に仕え、梁が建つと武功を重ねて昇進した。北魏の北海王・元顥を擁して北伐し洛陽を占領した。爾朱栄の反攻により洛陽を追われるが、その後も北魏戦線を支えた。武芸には疎かったが指揮官として非凡で、身に纏った白袍を畏怖された。病没。

顔延之

384年-456年。字は延年。琅邪郡臨沂県の人。顔顕の子。名門だったが父を早くに亡くし没落した。書物に通じたが、酒癖が悪く、長らく独身だった。晩年の陶潜と交際し、その死を悼んだ。朝廷の権力闘争の中で常に警戒され、数度の左遷と長い謹慎を経た。晩年は、秘書監、光禄勲、太常を歴任した。

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