王華
publish: 2021-11-23, update: 2026-04-19
385年-427年。字は子陵。琅邪郡臨沂県の人。王廞の子。王恭と王国宝の争いの中で父・王廞が行方不明となり、恩赦を受けるまで逃亡生活の幼少期を過ごした。後に劉裕によって喪中が発せられ、正式に服喪した。劉義隆に仕えて、張邵の失脚後その職務を代行した。
関連
徐幹
171年-218年。字は偉長。北海郡劇県の人。建安の七子の一人。貧しい旧家に生まれた。品行が良く、文章に優れて司空軍師祭酒掾属、五官将文学を務めた。著作『中論』は曹丕から絶賛され、一家の言を成したと評された。病没。
宋混
?-361年。字は玄一。敦煌郡の人。代々、当地の豪族で、張重華の代に驃騎将軍まで昇る。忠義に厚く、人望を集めた。張祚の誅殺を掲げて張瓘が挙兵すると、呼応して挙兵し張祚を処刑した。張重華の末子・張玄靚を推戴し輔弼した。張瓘を害意を察知して決起し、張瓘を敗走させて自害に追いやった。病没。
慕容忠
?-386年。西燕の第5代皇帝。慕容泓の子。慕容瑤の死後、慕容永に擁立された。建武と改元して聞喜まで東進を進め燕熙城を築いて拠点とした。まもなく刁雲に殺害された。