王華
publish: 2021-11-23, update: 2026-04-19
385年-427年。字は子陵。琅邪郡臨沂県の人。王廞の子。王恭と王国宝の争いの中で父・王廞が行方不明となり、恩赦を受けるまで逃亡生活の幼少期を過ごした。後に劉裕によって喪中が発せられ、正式に服喪した。劉義隆に仕えて、張邵の失脚後その職務を代行した。
関連
司馬子如
489年-553年。字は遵業。司馬興龍の子。西晋の南陽王・司馬模の末裔。若くして高歓と交友を結び、爾朱栄に属した。高歓による実権掌握後は、度々免官されるもその都度復帰して顕職を歴任した。北魏、東魏、北斉の3朝に仕えた。病没。四貴の一人。
慕容策
386年-398年。濮陽王。慕容宝の子。美少年と記録が残る。父・慕容宝からは愛され、慕容会が太子から廃されると新たな太子として立てられた。段速骨、および蘭汗が反乱すると、擁立されたが、間もなく殺された。
李賁
503年-548年。万春の初代皇帝。俚族の出身。梁後期の過酷な政治によって交州が乱れると、挙兵して交州、徳州(ベトナム北部)を支配し万春を建国した。陳霸先らの強い圧迫をうけて度重なる敗北を喫した。逃亡先の屈獠洞の蛮族によって殺害された。在位4年。