王聖
publish: 2021-12-20, update: 2026-04-19
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生没年不詳。安帝・劉祜の乳母。鄧氏一族が政権を運営するとこれに不満を持ち、鄧綏の兄・鄧悝が平原王・劉翼の擁立を画策していると誣告し、劉翼の都郷侯降格へとつながった。野王君に封じられて江京、樊豊、王伯栄とともに恣肆暴虐と評された。閻氏一族の権力掌握により失脚し雁門郡へ流刑された。
関連
石鑑
?-350年。字は大朗。後趙の第6代皇帝。廃帝。石虎の三男。冉閔粛清を本人に密告し石遵の廃位を招いた。冉閔に擁立され皇帝に即位するも実権はなく傀儡だった。諸方で冉閔・李農を除く企てが起こるなか冉閔に幽閉され、後に復権を企むも露見し廃位、殺害された。在位103日。
申鍾
生没年不詳。魏郡魏県の人。後趙に仕えて侍中、司徒を歴任した。石虎の横暴を諫めた争臣としての逸話が残る。冉閔が魏を建国すると、これに従い太尉となった。前燕によって冉閔が滅亡すると、捕縛されて薊に送られるが、許されて慕容儁に登用された。その後の事跡は不明。
司馬顒
?-306年。字は文載。河間王。司馬孚の孫。司馬瓌の子。八王の一人。三王起義の一人として司馬倫を討伐した。司馬乂殺害後は、司馬穎を皇太弟に推して、長安に駐屯し続けた。司馬穎に引きずられるように司馬越と対立した。長安陥落後は司馬越から洛陽に召喚されるが、道中、司馬模に暗殺された。