沈恪 ( しんかく )

publish: 2021-11-03, update: 2026-04-19

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509年-582年。字は子恭。梁末に蕭暎に仕える。侯景の乱では建康に入城して防戦するが、陥落すると脱出して陳霸先と呼応して挙兵した。陳の将軍職、刺史職を歴任して、侍中まで上った。病没。子の沈法興は隋末の群雄の一人。

関連

侯景

503年-552年。字は万景。侯標の子。出身は定かではない。爾朱栄の部将として頭角を現した。爾朱栄の死後は高歓に従って河南大行台を務めて河南の軍事を監督した。高澄に疑われて謀反し、後に侯景の乱と呼ばれる中華全土の勢力図を書き換える契機を作った。建康陥落後に皇帝を称するが、王僧弁らに追われて敗死した。

高演

535年-561年。字は延安。北斉の第3代皇帝。孝昭帝。高歓の第6子。高殷が即位すると、輔弼した楊愔、燕子献、宋欽道を偽勅で処刑し権力を掌握した。太皇太后婁昭君と結託して高殷を廃し自ら皇帝に即位した。落馬で重体となり死期を悟ると弟高湛に帝位を譲った。在位1年。

劉和

?-310年。前趙の第2代皇帝。廃帝。劉淵の子。劉淵の死後その後を継ぐ。外戚の呼延攸に教唆され権力掌握のため宗族の一掃を企てた。しかし計画は疎漏で内部に疑心暗鬼を招き逆に劉聡の攻勢を受けた。劉聡によって捕縛されたのち処刑された。在位僅か6日。

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