拓跋弘
publish: 2021-08-07, update: 2026-04-19
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454年-476年。北魏の第5代皇帝。献文帝。拓跋濬の第1子。父拓跋濬の死後即位する。即位時は幼少であったため、丞相の乙渾や馮太后が補佐に当たった。親政を行うと馮太后と対立し子の拓跋宏への譲位を余儀なくされる。国内の法治を整備したが、馮太后に毒殺された。在位6年。
関連
王雄
507年-564年。字は胡布頭。太原郡の人。王崙の子。太原王氏を称するがその字から自称と考えられる。賀抜岳に従って関中に入り、梁領である漢中方面を攻略した。宇文護の下で北斉を攻めたとき、斛律光の矢が当たったとされ、陣没した。庸国公。
劉義隆
407年-453年。劉宋の第3代皇帝。文帝。劉裕の第3子。兄劉義符が廃されると即位した。兄を殺害した罪で徐羨之らを処刑し朝廷を掌握した。元嘉の治と呼ばれる全盛を築くが、晩年は北魏の侵攻を受けて国内は乱れた。劉劭の廃嫡を考えるが、決起した劉劭に殺害された。在位29年。
許慎
生没年不詳。字は叔重。汝南郡召陵県の人。汝南郡の属官を経て、孝廉をもって中央に出仕し洨県県令、太尉南閤祭酒など務めた。経書を広く学んで五経無双と称された古文経学の大家。漢字の原理を六種類に分類する六書の説明は、著書『説文解字』が最古である。