謝晦
publish: 2021-08-08, update: 2026-08-13
390年-426年。字は宣明。陳郡陽夏県の人。陳郡謝氏の出身で謝安の兄・謝拠の曾孫。東晋朝廷を掌握する劉裕に従い北伐、土断を行った。劉裕の死後、劉義符の補佐を任されたが、劉義隆擁立の政変に関わった。徐羨之らと共に政権を握り荊州刺史となるが、劉義符殺害の罪を問われ檀道済の討伐を受けた。刑死。
関連
禿髪傉檀
365年-415年。南涼の第3代王。景王。禿髪思復鞬の子。禿髪烏孤・禿髪利鹿孤の弟。南涼の都督中外諸軍事。禿髪利鹿孤の病没により王位を継承した。乞伏熾磐が出奔したときその妻子を解放した。北涼を攻めるも攻略を果たせず西秦の攻撃に降伏した。後に毒殺された。
司馬衷
259年-307年。字は正度。西晋の第2代皇帝。恵帝。司馬炎の第2子。兄・司馬軌が夭折したため立太子された。司馬炎の死後、即位するが、皇帝として暗愚と評価される。皇后の賈南風を筆頭とする外戚の台頭や、八王の乱を抑えることができなかった。病没。司馬越による毒殺とも。
解思明
?-345年。出自は不明。李寿の長史に任じられた。李寿が皇帝・李期と対立すると羅恒とともに謀り、成都を占拠して李期を廃し東晋に従属することを進言した。李寿の死後、李勢の後継として皇太弟を立てることを求めたため、李勢の怒りを買って処刑された。諫臣。