謝玄
publish: 2021-04-25, update: 2026-08-13
343年-388年。字は幼度。謝奕の子、謝安の甥。桓温の辟召を受けて属官となる。謝安に推挙されて北府を管轄し、劉牢之などを登用した。前秦の強勢を退け淝水の戦いでは前秦を大破した。その後の前秦の混乱を好機とし兗・青・司・豫州の四州を平定したが、間もなく病没した。
関連
馮異
?-34年。字は公孫。潁川郡父城県の人。王莽政権下で潁川太守を務め、潁川郡を攻略する劉秀に降伏した。優れた戦略家であり、各地を転戦して負けることがなかった。功績を誇らない姿を大樹将軍と称賛された。河北で劉秀一行が逃避行したとき、豆粥や麦飯を調達したため、劉秀はこれを生涯忘れなかった。征西大将軍、陽夏侯。
馮跋
?-430年。字は文起。北燕の第2代天王。文成帝。馮安の子。慕容熙の不信を得て一時隠遁していたが、皇后苻訓英の葬儀の隙をつき高雲を擁立して慕容熙を処刑した。高雲が殺害されると群臣に推戴されて天王を称した。治政は安定したが晩年は後継争いが起きた。病没。
夏侯玄
209年-254年。字は太初。豫州沛郡譙県の人。夏侯尚の子。昌陵郷侯。太常まで昇る。若くして名声を高めて曹叡からはその軽薄さを嫌悪された。興勢の役として蜀へ出兵するが成功しなかった。九品官人法の実務を批判した。李豊、張緝らと司馬氏一党を除く政変を企み露見して処刑された。