謝玄 ( しゃげん )

publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19

343年-388年。字は幼度。謝奕の子、謝安の甥。桓温の辟召を受けて属官となる。謝安に推挙されて北府を管轄し、劉牢之などを登用した。前秦の強勢を退け淝水の戦いでは前秦を大破した。その後の前秦の混乱を好機とし兗・青・司・豫州の四州を平定したが、間もなく病没した。

関連

張方

?-306年。寒門の出身だったが、関中を統治した司馬顒に仕官して累進した。以降、司馬顒、司馬穎の一派として、司馬倫、司馬乂、司馬越と戦って軍の中核を成した。後に、司馬顒の敗色が濃厚になると、謀叛の罪を着せられて司馬顒に殺害された。

夏侯玄

209年-254年。字は太初。豫州沛郡譙県の人。夏侯尚の子。昌陵郷侯。太常まで昇る。若くして名声を高めて曹叡からはその軽薄さを嫌悪された。興勢の役として蜀へ出兵するが成功しなかった。九品官人法の実務を批判した。李豊、張緝らと司馬氏一党を除く政変を企み露見して処刑された。

楊忠

507年-568年。小名は奴奴。弘農郡華陰県の人。弘農楊氏を称したが出自は武川鎮とされる。楊禎の子。隋の文帝・楊堅の父。体躯に恵まれて武芸に優れた。一時梁に抑留されたほか、独孤信とともに梁への亡命を経て西魏へ帰順した。宇文護からは遠ざけられたが官職を全うした。病没。

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