祖逖 ( そてき )

publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19

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266年-321年。字は士稚。祖武の子。西晋の各王の属官を歴任したため、八王の乱が進むと各王から召集されたが、いずれにも応じなかった。永嘉の乱で洛陽が陥落すると一族を挙げて徐州へ移住した。司馬睿により徐州刺史に任じられ、河南の地を後趙から奪還した。病没。

関連

楊逸

500年-531年。字は遵道。弘農郡華陰県の人。楊津の子。河陰の変では爾朱栄に従い、孝荘帝・元子攸を河陽に迎えた。元子攸が爾朱栄を粛清すると活路を一族で協議したが、爾朱仲遠の使者により殺害された。行政に優れてその慧眼を千里眼と畏敬され、成語としての千里眼の語源となった。

高雲

?-409年。字は子雨。北燕の初代天王。恵懿帝。高抜の子。高句麗の王族出身。慕容宝の養子となり慕容雲を名乗った。慕容熙の死後、馮跋に擁立されて燕王となる。北魏との関係は悪化したが高句麗との関係は好転した。寵臣の離班、桃仁に殺害された。後燕の5代皇帝とも解釈される。

劉義隆

407年-453年。劉宋の第3代皇帝。文帝。劉裕の第3子。兄劉義符が廃されると即位した。兄を殺害した罪で徐羨之らを処刑し朝廷を掌握した。元嘉の治と呼ばれる全盛を築くが、晩年は北魏の侵攻を受けて国内は乱れた。劉劭の廃嫡を考えるが、決起した劉劭に殺害された。在位29年。

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