張邕
publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19
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?-361年。前涼の右司馬。幼い張玄靚を輔弼したが、やがて宋混が亡くなると、宋澄一族を誅殺して朝廷を壟断した。政治を乱したため、前涼の衰退を加速させた。張天錫と争い、進退に極まり自害した。一族は誅殺された。傲慢な人物と評が残る。
関連
孫騰
481年-548年。字は龍雀。孫機の子。爾朱栄および高歓に従った。高歓に元朗を擁立するよう勧めた。主に高歓の後背を守った。高歓の信任を得て顕職に昇る一方で、素行の悪さを高歓にしばしば譴責された。病没。四貴の一人。
達奚武
504年-570年。字は成興。代郡の人。達奚長の子。汧城鎮の生まれで北鎮の乱が起こると賀抜岳の部将となった。賀抜岳が侯莫陳悦に殺されると宇文泰に従い官爵を進めた。東魏戦線のほか南征を行って梁の漢中を攻略するなど、長らく軍務を務めて功績を挙げ続けた。北周成立後も太傅まで昇った。
桓温
312年-373年。字は元子。桓彝の子。庾翼の後を継いで西府を統括した。成漢の討伐、中原の回復、大規模な土断に成功して、東晋史上最大級の功を成した。司馬奕を廃して司馬昱を擁立し、簒奪の準備を進めたが、謝安らの反対に遭い禅譲は実現しなかった。病没。