陽裕
publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19
章節
標籤
生没年不詳。字は士倫。陽耽の甥。幼少に父を亡くし早くから自立した。幽州刺史和演の主簿となったが、王浚が和演を殺害して実権を握ると疎まれた。その後、段部、後趙と仕官先を変えながらも名声は高まり、後趙の段遼攻撃中に前燕に捕縛され慕容皝に取り立てられた。慕容皝の代に病没。
関連
司馬睿
276年-323年。字は景文。東晋の初代皇帝。元帝。司馬懿の曾孫、司馬伷の孫。父司馬覲が死去すると琅邪王を継ぐ。鄴で司馬穎の監視下に置かれたが脱出して琅邪に帰還した。王導の献策に従い建業へ移った。愍帝が殺害されると皇帝に即位した。五馬王の筆頭。病没。在位6年。
司馬徳宗
382年-419年。字は徳宗。東晋の第10代皇帝。安帝。司馬曜の第1子。父司馬曜の死後即位する。重度の知的障害者であったとされる。孫恩の乱や桓玄の乱が起こり、桓玄には一時帝位を奪われるが劉裕の助力で復位した。のち劉裕に殺害された。在位22年。
王覇
?-59年。字は元伯。潁川郡潁陽県の人。元は獄吏だった。劉秀が潁川に至って以来その創業に参加した。河北平定では、進退窮まった一行に虖池河が凍り付いて渡河が可能であると偽りの報告をし、事実凍っていたため活路を見出した逸話がある。河北の苦難から「疾風、勁草を知る」と劉秀に評された。杜茂、馬成とともに長らく北辺に鎮した。上谷太守、淮陵侯。