殷仲堪
publish: 2022-02-03, update: 2026-04-19
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?-399年。陳郡長平県の人。殷師の子。殷浩は従伯父にあたる。謝玄の属官を経て、荊州刺史として西府軍を統括した。王恭に同調して王国宝を殺害せしめるが、再度挙兵した際には調略された桓玄と敵対し敗死した。果断に乏しく軍人としては評価されないが、恤民に溢れて政治に優れた。
関連
閻顕
?-125年。河南郡滎陽県の人。閻暢の子。妹を安帝・劉祜の皇后とし、鄧氏一族の没落後は、兄弟揃って重用された。劉祜の死後、劉懿を擁立し外戚としての地位を固めるかに思われたが、劉懿が僅か数百日で没したため叶わず、孫程らの政変が起きると投獄された。順帝・劉保が即位すると処刑された。
司馬冏
?-302年。字は景治。斉王。司馬昭の孫。司馬攸の子。八王の一人。司馬倫に協力して賈氏一族を滅ぼすが、後に司馬倫から軽んじられた。司馬倫が暴政を行うと、司馬穎、司馬顒らと決起して司馬倫を退位させ、司馬衷を復位させた。司馬顒が挙兵すると洛陽で呼応した司馬乂によって捕縛され、処刑された。
桓温
312年-373年。字は元子。桓彝の子。庾翼の後を継いで西府を統括した。成漢の討伐、中原の回復、大規模な土断に成功して、東晋史上最大級の功を成した。司馬奕を廃して司馬昱を擁立し、簒奪の準備を進めたが、謝安らの反対に遭い禅譲は実現しなかった。病没。