殷仲堪
publish: 2022-02-03, update: 2026-04-19
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?-399年。陳郡長平県の人。殷師の子。殷浩は従伯父にあたる。謝玄の属官を経て、荊州刺史として西府軍を統括した。王恭に同調して王国宝を殺害せしめるが、再度挙兵した際には調略された桓玄と敵対し敗死した。果断に乏しく軍人としては評価されないが、恤民に溢れて政治に優れた。
関連
慕容暐
350年-384年。字は景茂。前燕の第3代君主。幽帝。慕容儁の三男。河南へ進出し東晋領の洛陽を得るも慕容恪の死後は国威が低下する。洛陽の領有問題を起点に前秦と敵対し大敗のすえ鄴は陥落、降伏した。在位11年。淝水の戦い以後没落する苻堅の暗殺を試みるが失敗し殺害された。
封奕
?-365年。字は子専。渤海郡蓨県の人。封悛の子。祖父の封釈は西晋の侍中であり、東夷校尉として遼東一帯を管轄した。幼少より慕容廆と面識を深め、早くから前燕の黎明に携わった。国相を務めて官吏の筆頭となり、前燕の中原進出を支えた。慕容儁が皇帝に即位すると太尉に任じられた。病没。
高開
?-352年。渤海郡蓨県の人。高瞻の子。父の高瞻は東夷校尉・崔毖に属したが、崔毖が慕容廆に敗れると憂死した。慕容儁の代に仕官し、昌黎郡太守となった。前燕の中原進出に従軍し、慕容恪に献策して不利な前燕軍を立て直した。冉閔との乱戦のなか傷を受け病没した。