陳蒨 ( ちんせん )

publish: 2021-11-03, update: 2026-08-25

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522年-566年。字は子華。陳の第2代皇帝。文帝。陳霸先の兄陳道談の第1子。王僧弁の残党を糾合した王琳が蕭荘を擁立して梁の正統を立てると、周迪、留異、陳宝応ら各地の反乱と共にこれを滅ぼした。北周と修好を結び北斉の介入を退けた。内政を安定させ陳の基盤を固めた。在位7年。

子女

出生順 爵位/諡号 名 生年 没年 生母 付記
1 廃帝 陳伯宗 554 570 沈皇后
2 始興王 陳伯茂 551 568 沈皇后
3 鄱陽王 陳伯山 550 589 厳淑媛
4 早世
5 新安王 陳伯固 555 582 潘容華
6 晋安王 陳伯恭 厳淑媛
7 衡陽王 陳伯信 589 劉昭華
8 廬陵王 陳伯仁 589 王充華
9 江夏王 陳伯義 589 張修容
10 武陵王 陳伯礼 韓修華
11 早世
12 永陽王 陳伯智 江貴妃
13 桂陽王 陳伯謀 583 孔貴妃
(女) 1 豊安公主 留貞臣へ降嫁
(女) 2 富陽公主 侯浄蔵へ降嫁、柳盼に再嫁

関連

慕容沖

359年-386年。西燕の初代皇帝。慕容儁の子。前燕の中山王。慕容恪死後の大司馬を後任した。慕容垂の挙兵に応じて河東にて挙兵するも、竇衝に敗れて慕容泓と合流した。慕容泓を殺害した高蓋らに皇太弟として擁立された。慕容暐が処刑されると皇帝に即位した。帰郷しようとする鮮卑諸族を統制できず左将軍・韓延に殺害された。

沮渠蒙遜

?-447年。北涼の第3代王。哀王。沮渠蒙遜の第3子。沮渠蒙遜が病に倒れたとき世子で弟の沮渠菩提が幼いため立太子された。北魏と婚姻外交を行ったが、拓跋燾の妹である皇后武威公主が毒殺されると北魏の侵攻を受け捕らわれた。助命されるが財産隠匿の罪で処刑された。

皇甫真

生没年不詳。字は楚季。安定郡朝那県の人。慕容廆に招かれて出仕した。慕容皝の不興を買って一時は免官となるが、後に復職し文武両道を示した。増長する慕輿根を痛烈に批判し慕容恪へ誅殺を促した。司空、太尉などの高位を歴任したが凋落の大勢は変えられなかった。前燕滅亡後は前秦の奉車都尉に任じられた。病没。

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