宇文憲 ( うぶんけん )

publish: 2022-02-27, update: 2026-04-19

544年-578年。字は毗賀突。宇文泰の子。北周建国時に幼くして既に重臣の身であり、益州総管としての治政は善政と評価される。斛律光を相手に善戦し、人心掌握にも優れて人望が厚かった。専横する宇文護の信任を得て朝廷内の調整役を担った。宇文邕の死後、その権威を恐れた宇文贇に殺害された。

関連

袁術

155年-199年。字は公路。汝南郡汝陽県の人。袁逢の子。名門出身で孝廉を経て河南尹など務めた。何進の暗殺を機に宦官を誅殺するが、董卓が入朝すると禍を恐れて南陽を実効支配した。曹操らと争って拠点を寿春へ移し、皇帝に即位して国号を仲とした。失政と外患により国威は失せ、病死した。

桓温

312年-373年。字は元子。桓彝の子。庾翼の後を継いで西府を統括した。成漢の討伐、中原の回復、大規模な土断に成功して、東晋史上最大級の功を成した。司馬奕を廃して司馬昱を擁立し、簒奪の準備を進めたが、謝安らの反対に遭い禅譲は実現しなかった。病没。

司馬攸

246年-283年。字は大猷。斉王。司馬昭の第3子。子がいない司馬師の猶子となった。聡明でありながら人徳を有し、宗族の中で一際輿望を集めた。後継問題を背景に、司馬炎から疎まれて、封地への帰国を命じられた。まもなく病没。司馬攸帰藩事件として、八王の乱の初端と解される。

/opt/build/repo/content/dynasties/556_北周/seika/578_宇文憲.md