宇文憲
publish: 2022-02-27, update: 2026-04-19
544年-578年。字は毗賀突。宇文泰の子。北周建国時に幼くして既に重臣の身であり、益州総管としての治政は善政と評価される。斛律光を相手に善戦し、人心掌握にも優れて人望が厚かった。専横する宇文護の信任を得て朝廷内の調整役を担った。宇文邕の死後、その権威を恐れた宇文贇に殺害された。
関連
沮渠蒙遜
?-447年。北涼の第3代王。哀王。沮渠蒙遜の第3子。沮渠蒙遜が病に倒れたとき世子で弟の沮渠菩提が幼いため立太子された。北魏と婚姻外交を行ったが、拓跋燾の妹である皇后武威公主が毒殺されると北魏の侵攻を受け捕らわれた。助命されるが財産隠匿の罪で処刑された。
寇恂
?-36年。字は子翼。上谷郡昌平県の人。上谷郡の功曹を務めた。太守・耿況を説いて劉秀に従った。河内太守を務めて鄧禹からは蕭何に比された。軍事、外交に優れる一方で、地方統治にも優れ、執金吾に栄転すると領民からは慰留の陳情が上がった。執金吾、雍奴侯。
司馬遹
278年-300年。字は煕祖。司馬衷の子。聡明さを祖父・司馬炎に溺愛されたが、成長と共に学問から遠ざかり、次第に評判を失った。実子のいない賈南風から疎まれ、賈謐と対立した。賈南風によって謀叛の罪を着せられて、廃太子ののち、庶人に落とされた。まもなく賈南風によって暗殺された。