宇文憲 ( うぶんけん )

publish: 2022-02-27, update: 2026-04-19

544年-578年。字は毗賀突。宇文泰の子。北周建国時に幼くして既に重臣の身であり、益州総管としての治政は善政と評価される。斛律光を相手に善戦し、人心掌握にも優れて人望が厚かった。専横する宇文護の信任を得て朝廷内の調整役を担った。宇文邕の死後、その権威を恐れた宇文贇に殺害された。

関連

呉明徹

512年-578年。字は通昭。呉樹の子。梁に仕えて各武官職、刺史を歴任した。侯景の乱では陳霸先の信用を得て、陳の建国後さらに累進した。北伐を行い淮南を回復するが、三度に渡る呂梁の戦いの結果、北周に敗れて捕縛され、長安へ連行された。長安にて病没。

袁安

?-92年。字は召公。汝南郡汝陽県の人。袁良の孫。県の吏人を務め、孝廉に挙げられた。県令から太守へと着実に昇進し、優れた行政を評価されて太僕へ栄転、以後、司空、司徒を歴任した。外戚の竇氏を弾劾し、清流派の立場を確立してなお失脚せずに現職であり続けた。

劉顕

?-352年。石祗の属将。冉閔と戦って大敗を繰り返し、恐れるあまり石祗を始め重臣を殺害して冉閔に帰順した。一方で自立を目論み冉閔から離反するが、悉く敗れた。曹伏駒の寝返りで襄国に入城した冉閔によって処刑された。最終的に後趙に止めを刺した人物に当たる。

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