宇文憲 ( うぶんけん )

publish: 2022-02-27, update: 2026-04-19

544年-578年。字は毗賀突。宇文泰の子。北周建国時に幼くして既に重臣の身であり、益州総管としての治政は善政と評価される。斛律光を相手に善戦し、人心掌握にも優れて人望が厚かった。専横する宇文護の信任を得て朝廷内の調整役を担った。宇文邕の死後、その権威を恐れた宇文贇に殺害された。

関連

孔融

153年-208年。字は文挙。魯国曲阜県の人。孔宙の子。孔子20世の孫。幼くして李膺に評価された。後漢末期に北海国の相を務めたが、袁紹の伸長に伴い中央へ逃れた。直言を好み、過度な批評は純粋、秋霜と評価される一方で、曹操からは嫌悪され、曹操に対する誹謗中傷の罪で処刑された。

拓跋鬱律

?-321年。代の第4代王。拓跋弗の子。拓跋猗盧の死後、相続が混乱すると代王に擁立された。各地へ遠征し西は烏孫、東は勿吉を攻略し、鮮卑を北方最強たらしめた。前趙、後趙とも敵対し、前涼の朝貢を受け、東晋の爵位を拒絶した。拓跋猗㐌の妻・惟氏に殺害された。

乞伏暮末

?-431年。西秦の第4代の王。乞伏熾磐の子。乞伏熾磐の死後王位を継承した。北涼の攻撃により北魏への帰順を画策するが果たされなかった。夏の攻撃に降伏し、まもなく赫連定に殺害された。在位3年。

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