司馬攸
publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19
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246年-283年。字は大猷。斉王。司馬昭の第3子。子がいない司馬師の猶子となった。聡明でありながら人徳を有し、宗族の中で一際輿望を集めた。後継問題を背景に、司馬炎から疎まれて、封地への帰国を命じられた。まもなく病没。司馬攸帰藩事件として、八王の乱の初端と解される。
関連
李寿
300年-343年。字は武考。成漢の第4代皇帝。李特の弟李驤の子。軍を率いて成都に迫り奸臣排斥を上奏して李越らを処刑させた。さらに李期を廃して邛都県公に落とすと自ら皇帝に即位した。東晋に対する自立と臣従で国政が割れる中、徹底して帝位を維持した。後に病死。在位5年。
慕容宝
355年-398年。字は道祐。後燕の第2代皇帝。恵愍帝。慕容垂の第4子。参合陂の戦いで大敗し衰亡の端緒を作った。慕容垂の死後一族の内紛を抑えられず、北魏の圧力と南燕の自立により中原を失った。失地回復のため北魏と戦うが敗北し配下の蘭汗に殺害された。在位3年。
蕭琮
生没年不詳。字は温文。後梁の第3代皇帝。後主。蕭巋の第1子。父蕭巋の死後即位した。陳への侵攻を前に後梁の監視体制を強化する楊堅によって長安に呼び出され、本国は次第に換骨奪胎された。後梁が併合された後も重用され梁公に封じられるが、後に楊広の猜疑を受けて病没した。