斛斯椿
publish: 2021-08-07, update: 2026-04-19
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495年-537年。字は法寿。斛斯敦の子。爾朱栄の配下として転戦して爾朱氏から信任を得た。韓陵の戦いでは高歓を討つために戦うが、敗北後は寝返って爾朱彦伯、世隆兄弟を襲撃して殺害した。後に高歓に対して不安を抱き、保身から元脩と高歓の対立を煽った。西魏の重職を歴任して病没。
関連
任昉
460年-508年。字は彦昇。楽安郡博昌県の人。任遙の子。丹陽尹の主簿となって後に蕭子良の属官に転じた。蕭鸞の不興を買って一時、不遇となるが、蕭衍が政権を握ると禅譲の詔勅などを書き上げた。文筆に優れて「任筆沈詩」と詩にすぐれた沈約と比較して評価された。交際が豊富で財産に執着しなかったという。
姚興
366年-416年。字は子略。後秦の第2代皇帝。文桓帝。姚萇の子。前秦の残党を滅ぼし関中一帯を統一した。一時は西秦、南涼、北涼、西涼、後蜀を属国としたが、西秦や夏の独立、北魏の圧迫によって国威は徐々に衰退した。在位22年。熱心な仏教徒であった。
宇文覚
542年-557年。北周の初代天王。宇文泰の第3子。宇文泰の死後、宇文護に擁立されて元恭から禅譲を受け天王として即位した。宇文護の傀儡であり、宇文護を排除するべく計画を立てるが露見し、廃位、殺害された。在位は1年に満たない。