張方
publish: 2021-04-24, update: 2026-04-19
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?-306年。寒門の出身だったが、関中を統治した司馬顒に仕官して累進した。以降、司馬顒、司馬穎の一派として、司馬倫、司馬乂、司馬越と戦って軍の中核を成した。後に、司馬顒の敗色が濃厚になると、謀叛の罪を着せられて司馬顒に殺害された。
関連
李弼
494年-557年。字は景和。遼東郡襄平県の人。李永の子。爾朱天光に従って関中に入り軍功を立てた。勇猛であり常に先鋒を務めたため、当たるもの無しと恐れられた。賀抜岳を殺害した侯莫陳悦に宇文泰への降伏を促したが、入れられなかったため自身は宇文泰に降伏した。東魏戦線を転戦して西魏の重鎮となる。病没。
劉炟
57年-88年。章帝。後漢の第3代皇帝。劉荘の子。儒学を好んで寛容な政治を布き経済発展に寄与したほか、外征でも積極策を前代から継承した。儒学への傾倒は経典解釈の議論へ自ら参加するほどであった。馬皇太后の死後、皇后・竇氏が側室を誣告して自死させるなど外戚の強権が目立ち始めた。
長孫嵩
358年-437年。長孫仁の子。代の南部大人。代が前秦に滅ぼされると劉庫仁に従った。拓跋珪が独立すると再び南部大人となり、柔然、後燕、東晋を相手に歴戦して、北魏初期の軍事を支えた。北魏3代に仕えた。病没。武廟六十四将に数えられる。