高歓 ( こうかん )

publish: 2021-11-03, update: 2026-04-19

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496年-547年。字は賀六渾。高樹生の子。懐朔鎮の出身。六鎮の乱では杜洛周や葛栄に従い、最終的に爾朱栄に属した。爾朱栄の死後は爾朱氏の内訌を収めて北魏の実権を握った。元脩の出奔後は元善見を擁立して西魏と度々争うが大勢は拮抗した。病没。

関連

任昉

460年-508年。字は彦昇。楽安郡博昌県の人。任遙の子。丹陽尹の主簿となって後に蕭子良の属官に転じた。蕭鸞の不興を買って一時、不遇となるが、蕭衍が政権を握ると禅譲の詔勅などを書き上げた。文筆に優れて「任筆沈詩」と詩にすぐれた沈約と比較して評価された。交際が豊富で財産に執着しなかったという。

元欽

525年-554年。西魏の第2代皇帝。廃帝。元宝炬の第1子。元宝炬の死後即位した。宇文泰の殺害を画策し、元育、元賛に諫められるも、露見して廃位された。宇文泰によって雍州に監禁されたのち殺害された。在位3年。

鄧禹

2年-58年。字は仲華。南陽郡新野県の人。雲台二十八将の筆頭。長安留学中に劉秀の知遇を得た。劉秀が河北へ向かうとこれを追って鄴で合流した。大略を見極め人材輩出に異能を示した。劉秀にとってその大器は貴重なもので、関中遠征など多くの大任を授けられた。太傅、高密侯。

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