高歓 ( こうかん )

publish: 2021-11-03, update: 2026-04-19

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496年-547年。字は賀六渾。高樹生の子。懐朔鎮の出身。六鎮の乱では杜洛周や葛栄に従い、最終的に爾朱栄に属した。爾朱栄の死後は爾朱氏の内訌を収めて北魏の実権を握った。元脩の出奔後は元善見を擁立して西魏と度々争うが大勢は拮抗した。病没。

関連

元顥

?-529年。字は子明。北海王。元詳の子。六鎮の乱が起こると、侍中、驃騎大将軍、開府儀同三司、相州刺史など強力な軍権をもって対応した。爾朱栄が政変を起こすと、保身を図って梁へ亡命した。蕭衍に皇帝として擁立され洛陽を攻略するが、爾朱栄の反撃に相次いで敗れ戦死した。

劉楨

?-217年。字は公幹。東平郡寧陽県の人。劉梁の孫。曹操の辟召に応じて丞相掾属、平原侯庶子、五官将文学を務めた。曹丕、曹植と親交したが、曹丕の夫人・甄氏を平視した不敬で朝歌県県令に左遷された。誠実で才能があるが自制や遠慮に乏しいと王昶に評された。病没。著作は『詩品』に残る。

王浚

252年-314年。字は彭祖。王沈の子。都督幽州諸軍事として幽州の軍事を総括した。辺境の地の利を活かして三王起義ではどちらにも与せず、司馬顒、司馬穎と敵対した。鮮卑と修好する一方で、劉琨と内訌した。西晋が著しく弱体化すると帝位を狙ったが石勒に滅ぼされた。

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