朱儁 ( しゅしゅん )

publish: 2022-02-08, update: 2026-04-19

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?-195年。字は公偉。会稽郡上虞県の人。郡県の吏人を経て孝廉に挙がり、蘭陵県令、交州刺史、諫議大夫と昇進した。黄巾の乱以後は、反乱鎮圧に転戦して顕官を歴任した。董卓が長安へ遷都すると独自路線をとって陶謙、孔融らの支持を得た。董卓の死後、再度入朝して李傕らを調停したが、郭汜に囚われて間もなく病没した。

関連

呂婆楼

生没年不詳。字は広平。略陽郡の人。苻健が後趙から独立すると従った。侍中、尚書など高官を歴任した。苻堅の政変で王猛を推挙し、苻生の殺害に関わった。王猛、強汪、梁平老と共に王佐の才と評された。後涼の呂光は子にあたる。

石弘

313年-334年。字は大雅。後趙の第2代皇帝。海陽王。石勒の次子。石勒の死後、石虎を恐れて帝位を譲ろうとするも、石虎に拒まれて強制的に皇帝に即位した。しかし、実質は石虎の傀儡であり石虎の権力掌握は進んだ。その後、石虎によって廃位され殺害された。在位1年。

呂纂

?-401年。字は永緒。後涼の第3代天王。霊帝。呂光の子。呂紹、呂弘の兄。庶子であったため立太子されなかった。呂紹からの譲位を拒否したが、呂弘に唆されて呂紹を廃した。後に対立し挙兵した呂弘を討った。南涼や北涼を攻撃するものの失敗し、呂超に殺害された。

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