劉義隆
publish: 2021-08-08, update: 2026-04-19
章節
標籤
407年-453年。劉宋の第3代皇帝。文帝。劉裕の第3子。兄劉義符が廃されると即位した。兄を殺害した罪で徐羨之らを処刑し朝廷を掌握した。元嘉の治と呼ばれる全盛を築くが、晩年は北魏の侵攻を受けて国内は乱れた。劉劭の廃嫡を考えるが、決起した劉劭に殺害された。在位29年。
関連
元善見
524年-552年。東魏唯一の皇帝。孝静帝。拓跋宏の曾孫。元懌の孫。元亶の第1子。元脩が高歓の排除に失敗して宇文泰を頼ると、洛陽には皇帝が不在となったため高歓に擁立された。高歓の傀儡であり実権は高澄、高洋へ継がれた。高澄の誅殺を計画するが失敗し、高洋に禅譲した。
萬脩
?-26年。字は君游。扶風茂陵県の人。劉玄政権で信都郡信都県の県令となった。信都郡太守の任光に従い劉秀を迎えた。河北攻略、洛陽、南陽と転戦した。鄧奉の反乱によって宛で孤立し、間もなく病没した。右将軍、槐里侯。
李特
?-303年。巴氐の出身。斉万年の乱の時、流民となり蜀に移住する。趙廞の乱ではこれに従うが、趙廞が彼の弟を殺害したために、逆に趙廞を殺し実質的な蜀の支配者となる。のち益州刺史として赴任した羅尚と対立し、改元・自立を宣言した。羅尚に対して一時は優勢を維持するも戦死した。