李驤
publish: 2021-05-07, update: 2026-04-19
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?-328年。李慕の子。李輔、李特、李庠、李流の弟。一族と共に益州に入り兄弟たちと各地を転戦した。一族の多くが戦死する中、益州刺史・羅尚や荊州軍と戦った。都督中外諸軍事、大将軍、領中護軍、西夷校尉、録尚書事などの重職を歴任した。李班の立太子に反対したが叶わなかった。病没。
関連
沮渠蒙遜
?-447年。北涼の第3代王。哀王。沮渠蒙遜の第3子。沮渠蒙遜が病に倒れたとき世子で弟の沮渠菩提が幼いため立太子された。北魏と婚姻外交を行ったが、拓跋燾の妹である皇后武威公主が毒殺されると北魏の侵攻を受け捕らわれた。助命されるが財産隠匿の罪で処刑された。
宇文貴
?-567年。字は永貴。昌黎郡棘城県の人。宇文莫豆干の子。夏州で育ち、学問に馴染めず軍功を志したという。夏州刺史・源子邕の下で、破六韓抜陵、葛栄らと戦った。源子邕の戦死後は爾朱栄政権で昇進し、元脩が関中に入ると従って、宇文泰からは同族として信任された。許国公まで昇った。阿史那皇后を迎えて帰還中に没した。
司馬保
294年-320年。字は景度。司馬模の子。司馬越の甥。洛陽の陥落以後、秦州一帯を領有した。司馬睿と並んで司馬鄴を補佐する立場にあったが、後に司馬鄴を軽んじて、積極的に援護せず長安陥落を傍観した。皇帝を自称したが、前趙に対して劣勢となると、配下の張春に殺害された。病没とも。