慕容吐谷渾 ( ぼようとよくこん )

publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19

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246年-317年。鮮卑慕容部の人。慕容渉帰の子。慕容廆の兄。庶長子であったため嫡子とされず、部族を分け与えられた。嫡子の慕容廆との対立を避け西へ移住した。部族は陰山、枹罕に至り、後に子孫は西零、甘松に移って吐谷渾を国名とする独立勢力を築いた。

関連

段随

?-386年。西燕の第2代王。段部の人。慕容沖が殺害された際、燕王として擁立された。即位後、昌平と改元するが、まもなく左僕射・慕容恒、尚書・慕容永に殺害された。

禿髪烏孤

?-399年。南涼の創建者。武王。禿髪思復鞬の子。鮮卑禿髪部の出身。後涼に従ったが勢力を拡大させ続けた。呂光は禿髪烏孤の勢力を恐れて官位をもって懐柔しようとしたが応じず、王位を自称して独立した。落馬が原因で死去。

閻式

?-309年。天水郡の人。閻彧とも。李特たちが難民を連れて益州へ移るとこれに従った。益州刺史として羅尚が着任すると李特の使者として度々往来し、難民側の主張を羅尚に伝える一方で、羅尚から李特への懐柔の窓口となった。李雄の代に尚書令まで昇るが、配下の訇琦、張金苟に殺害された。

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