慕容吐谷渾 ( ぼようとよくこん )

publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19

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246年-317年。鮮卑慕容部の人。慕容渉帰の子。慕容廆の兄。庶長子であったため嫡子とされず、部族を分け与えられた。嫡子の慕容廆との対立を避け西へ移住した。部族は陰山、枹罕に至り、後に子孫は西零、甘松に移って吐谷渾を国名とする独立勢力を築いた。

関連

司馬越

?-311年。字は元超。東海王。司馬馗の孫。司馬泰の子。八王の一人。司馬乂を裏切って殺害した。司馬穎、司馬顒と対立して一時劣勢となるが、王浚らの援軍を得て司馬穎、司馬顒の排斥に成功した。司馬衷の死後、司馬鄴を擁したが、拡大する前趙を抑えられないまま、陣没した。

江総

519年-594年。字は総持。江紑の子。西晋から続く名門貴族の出身。尚書令の重職にありながら詩文を作るのみで、狎客と批判を受けた。陳叔宝の政治的暗愚を助長し、奸臣とも評される。優れた詩文は高く評価されるが、亡国の臣という経歴を伴って軽薄だとも評価される。

賈智

493年-537年。字は顕智。中山郡無極県の人。賈道監の子。北魏末に相次いだ反乱に対応し功績をあげた。爾朱栄の台頭、爾朱氏の内紛を巧みにくぐり抜け、高歓に従った。開府儀同三司、侍中まで上った。各州の刺史を務めたが民衆を搾取しており民政には明るくない。東魏が成り晋陽へ赴任し、後に罪の連座を受けて刑死した。

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