石琨 ( せきこん )

publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19

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?-352年。汝陰王。石虎の子。石虎の死後は石遵や冉閔に従ったが、冉閔が独自に国号を改めると、冀州を拠点に襄国の石祗と呼応した。冉閔に対して一進一退したが、石祗が劉顕に殺害されると東晋へ亡命した。東晋において亡命は許されず、建康にて処刑された。

関連

韋叡

442年-520年。字は懐文。韋祖帰の子。前漢の丞相・韋賢の末裔。関中の名族。東晋の劉裕が後秦を滅ぼしたとき先祖が江南へ移民した。軍事行政共に疎漏がなく、人格は謹厳で常に周囲から敬慕された。宋、斉、梁の3王朝に仕えて、侍中、車騎将軍まで昇る。病没。

解思明

?-345年。出自は不明。李寿の長史に任じられた。李寿が皇帝・李期と対立すると羅恒とともに謀り、成都を占拠して李期を廃し東晋に従属することを進言した。李寿の死後、李勢の後継として皇太弟を立てることを求めたため、李勢の怒りを買って処刑された。諫臣。

羊侃

495年-549年。字は祖忻。羊祉の子。もとは北魏の武官であったが、梁に亡命した。侯景の降伏に反対するも受け入れられなかった。侯景の乱では建康防衛の指揮を執り、数カ月にわたって籠城した。建康防衛の最中に病没し、間もなく建康の台城は陥落した。

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