司馬保 ( しばぼ )

publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19

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294年-320年。字は景度。司馬模の子。司馬越の甥。洛陽の陥落以後、秦州一帯を領有した。司馬睿と並んで司馬鄴を補佐する立場にあったが、後に司馬鄴を軽んじて、積極的に援護せず長安陥落を傍観した。皇帝を自称したが、前趙に対して劣勢となると、配下の張春に殺害された。病没とも。

関連

閻式

?-309年。天水郡の人。閻彧とも。李特たちが難民を連れて益州へ移るとこれに従った。益州刺史として羅尚が着任すると李特の使者として度々往来し、難民側の主張を羅尚に伝える一方で、羅尚から李特への懐柔の窓口となった。李雄の代に尚書令まで昇るが、配下の訇琦、張金苟に殺害された。

沈田子

383年-418年。字は敬光。呉興郡武康県の人。沈穆夫の子。劉裕が桓玄討伐に挙兵すると従った。北伐に従軍したほか、盧循の乱にも対処して功を挙げた。長安占領時は劉義真の下で王鎮悪と共に防御に当たったが、不信を募らせて王鎮悪を殺害した。まもなく王修に殺害された。

侯景

503年-552年。字は万景。侯標の子。出身は定かではない。爾朱栄の部将として頭角を現した。爾朱栄の死後は高歓に従って河南大行台を務めて河南の軍事を監督した。高澄に疑われて謀反し、後に侯景の乱と呼ばれる中華全土の勢力図を書き換える契機を作った。建康陥落後に皇帝を称するが、王僧弁らに追われて敗死した。

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