拓跋孤
publish: 2021-10-12, update: 2026-04-19
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生没年不詳。拓跋鬱律の子。拓跋翳槐、拓跋什翼犍の弟。拓跋翳槐が死去したとき、後継の拓跋什翼犍が遠地の人質だったため代わって諸族に擁立されたが、長幼を重んじて自ら鄴へ赴き人質の交換を申し出た。領土の半分を統治する強権を持ったが、その地位は子の拓跋斤には継承されなかった。
関連
王祥
185年-269年。字は休徴。琅邪郡臨沂県の人。王融の子。伯父・王叡が孫堅に殺害されると一族と共に廬江へ逃れ、以後仕官を固辞し続けた。60歳を過ぎて徐州刺史・呂虔の招聘に応じ別駕となった。以降、経歴は温県令に始まり大司農まで昇り魏の重臣となった。西晋では太保、睢陵公まで昇った。
蕭子顕
487年-537年。字は景陽。蕭道成の孫。豫章王・蕭嶷の子。斉の寧都県侯。斉末の混乱で危うい立場だったが、蕭衍に保護されて以後、重職を歴任した。学問を修め沈約に称えられた。一方で、傲慢との評が残り、諡には蕭衍から「驕」を贈られた。二十四史の『南斉書』の著者。
高殷
545年-561年。字は正道。北斉の第2代皇帝。廃帝。高洋の第1子。北斉建国と共に立太子されるが、父の高洋に疎まれた。父高洋の死後即位する。鮮卑系武官と漢人系文官の対立を経て高演へ権力が集中した。太皇太后の婁昭君の勅令により廃され、後に高演に殺害された。在位1年。