拓跋晃 ( たくばつこう )

publish: 2021-08-07, update: 2026-04-19

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428年-451年。拓跋燾の子。聡明であり皇太子でありながら拓跋燾の後見を受けて、実質的に北魏の政治を行った。農業振興に務めるとともに、北魏初期の漢化方針を採った。宗愛と対立して憂憤を強め、24歳で病没した。元法僧を除く後の皇帝はみな拓跋晃の血統である。

関連

朱异

483年-549年。字は彦和。寒門の出身で、蕭衍の貴族制度改革によって台頭した恩倖の代表格。侯景の降伏受入を薦め、一方では東魏との和平を薦めたため、侯景の乱のきっかけを作った。有能ではあったが私心が多く、梁の国政を傾けるに至った。平家物語には奸臣として載る。

賈南風

257年-300年。司馬衷の皇后。賈充の3女。嫉妬深く権謀を好んだ。司馬炎からは5つの欠点を指摘されたが、賈充派の強い後押しがあって太子妃となった。楊駿の殺害後は八王の乱の中心人物となり、司馬亮、衛瓘を初めとする宗族や重臣を粛清した。皇太子・司馬遹殺害の罪で、司馬倫に処刑された。

李農

?-350年。後趙の司空。石虎の死後、張豺と敵対し、張挙に助けられて石遵に従った。冉閔に同調して石遵の廃位に関わったため、内外に政敵を作った。冉閔が帝位につくと斉王に封じられたが、最後はその権勢を恐れた冉閔に誅殺された。

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