蕭子顕 ( しょうしけん )

publish: 2021-11-19, update: 2026-08-22

487年-537年。字は景陽。蕭道成の孫。豫章王・蕭嶷の子。斉の寧都県侯。斉末の混乱で危うい立場だったが、蕭衍に保護されて以後、重職を歴任した。学問を修め沈約に称えられた。一方で、傲慢との評が残り、諡には蕭衍から「驕」を贈られた。二十四史の『南斉書』の著者。

関連

崔琰

163年-216年。字は季珪。冀州清河郡東武城県の人。崔密の子。始め袁紹に仕えたが袁紹が死ぬと袁譚、袁尚のいずれにも出仕せず曹操の招聘に応じた。曹操の魏公封爵とともに尚書となり後に中尉まで昇った。魏王昇爵を賛美する上奏を批判したとして丁儀に讒言され処刑された。直言の士。

李雄

274年-334年。巴氐の出身。成漢の創設者。武帝。益州刺史羅尚を撤退させ成都を完全に制圧すると、成都王を称して成漢を成立させた。断続的に東晋と係争し漢中・巴東・寧州を攻略する一方で、前涼の張駿が東晋への臣従を勧めたときには一定の理解を示した。在位は30年に及ぶ。

王浚

252年-314年。字は彭祖。王沈の子。都督幽州諸軍事として幽州の軍事を総括した。辺境の地の利を活かして三王起義ではどちらにも与せず、司馬顒、司馬穎と敵対した。鮮卑と修好する一方で、劉琨と内訌した。西晋が著しく弱体化すると帝位を狙ったが石勒に滅ぼされた。

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