劉師知
publish: 2021-11-03, update: 2026-04-19
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?-567年。劉景彦の子。梁の諸王府の参軍を歴任した。学問を好んで博学であり、陳建国時の儀礼、制度を定めた。陳蒨が重篤になると到仲挙らと共に病床に近侍して決裁を代行した。陳伯宗が即位すると、陳頊の排斥を行ったが、かえって陳頊に捕縛され処刑された。
関連
呉漢
?-44年。字は子顔。南陽郡宛県の人。県の亭長を務めたが食客の罪に連座し逃亡した。馬商人として生計を立てるなか韓鴻に見出されて県令となった。河北を巡撫する劉秀に従い、偽の檄文を作って彭寵を抱き込んだ。沈着、果敢であり、軍職を歴任して連年の遠征を務めた。略奪や苛烈な指揮が多かった。大司馬、広平侯。
慕容暐
350年-384年。字は景茂。前燕の第3代君主。幽帝。慕容儁の三男。河南へ進出し東晋領の洛陽を得るも慕容恪の死後は国威が低下する。洛陽の領有問題を起点に前秦と敵対し大敗のすえ鄴は陥落、降伏した。在位11年。淝水の戦い以後没落する苻堅の暗殺を試みるが失敗し殺害された。
元恭
498年-532年。北魏の第11代皇帝。節閔帝、または前廃帝。拓跋宏の弟元羽の子。爾朱世隆らに元曄が廃立されると代わって擁立された。既に北魏の朝廷は混乱を極め、高歓に擁立された元朗、梁に支援された元悦が並び立った。爾朱天光らが高歓に敗れたため高歓によって殺害された。