劉師知
publish: 2021-11-03, update: 2026-04-19
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?-567年。劉景彦の子。梁の諸王府の参軍を歴任した。学問を好んで博学であり、陳建国時の儀礼、制度を定めた。陳蒨が重篤になると到仲挙らと共に病床に近侍して決裁を代行した。陳伯宗が即位すると、陳頊の排斥を行ったが、かえって陳頊に捕縛され処刑された。
関連
李洪
生没年不詳。渤海郡蓨県の人。李臻の孫。永嘉の乱では潁川郡定陵県に移住し舞陽にて塢壁を築いた。王浚によって雍州刺史に任じられるが、後に慕容皝に帰順した。昇進を重ねて司空まで昇る。前燕滅亡時に長安に送られ駙馬都尉に任じられた。やがて没した。
李弼
494年-557年。字は景和。遼東郡襄平県の人。李永の子。爾朱天光に従って関中に入り軍功を立てた。勇猛であり常に先鋒を務めたため、当たるもの無しと恐れられた。賀抜岳を殺害した侯莫陳悦に宇文泰への降伏を促したが、入れられなかったため自身は宇文泰に降伏した。東魏戦線を転戦して西魏の重鎮となる。病没。
王騰
?-356年。青州に割拠した段龕に仕えていたが、前燕の慕容恪の討伐を受けると降伏した。段龕を援けた東晋の徐州刺史・荀羨と戦うものの、荀羨の攻撃によって捕縛され処刑された。