陳霸先 ( ちんはせん )

publish: 2021-11-03, update: 2026-08-25

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503年-559年。字は興国。陳の初代皇帝。武帝。陳文賛の子。潁川陳氏の陳寔の末裔。蕭繹に従って王僧弁と共に侯景を討った。蕭淵明の即位を巡って王僧弁と対立し、王僧弁を討って蕭方智を復位させた。まもなく蕭方智に禅譲を迫って皇帝に即位し陳を建てた。在位2年。

子女

出生順 爵位/諡号 名 生年 没年 生母 付記
1 孝懐太子 陳克 昭皇后銭氏 早世
2 豫章献王 陳立 早世
3 長沙思王 陳権 早世
4 衡陽献王 陳昌 537 560 宣皇后章要児
(女) 1 永世公主 銭蕆へ降嫁
(女) 2 会稽公主 沈君理へ降嫁

男子は多くが早世し、陳昌も江陵の陥落時(554年)に北周に連行のうえ抑留されたため、帝位は陳蒨(兄の子)が継いだ。 陳昌は陳霸先の死後、帰国が許されたが、長江中流域にて水難のため溺死した。

関連

蕭荘

548年-578年。梁の第8代皇帝。永嘉王。蕭繹の子蕭方等の子。人質として北斉に送られたが、前代の蕭方智が陳霸先に禅譲したとき、北斉の支援を受けて帰還、梁の再興を図る王琳により皇帝に擁立された。陳、北周と交戦するが王琳の敗死により北斉へ亡命した。北斉の滅亡後に病死。

拓跋晃

428年-451年。拓跋燾の子。聡明であり皇太子でありながら拓跋燾の後見を受けて、実質的に北魏の政治を行った。農業振興に務めるとともに、北魏初期の漢化方針を採った。宗愛と対立して憂憤を強め、24歳で病没した。元法僧を除く後の皇帝はみな拓跋晃の血統である。

司馬倫

?-301年。字は子彝。趙王。司馬懿の第9子。八王の一人。賈南風が司馬遹を廃太子すると、賈南風を教唆して司馬遹を殺害させ、司馬遹殺害の罪で賈氏一族を粛清した。司馬衷を上皇として自ら皇帝を称した。朝廷は混乱し司馬冏らの三王起義を誘発させた。王輿らにより捕縛され、のち毒殺された。

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