閻式
publish: 2021-05-07, update: 2026-04-19
章節
標籤
?-309年。天水郡の人。閻彧とも。李特たちが難民を連れて益州へ移るとこれに従った。益州刺史として羅尚が着任すると李特の使者として度々往来し、難民側の主張を羅尚に伝える一方で、羅尚から李特への懐柔の窓口となった。李雄の代に尚書令まで昇るが、配下の訇琦、張金苟に殺害された。
関連
范曄
398年-445年。字は蔚宗。南陽郡順陽県の人。会稽郡山陰県の生まれ。范寧の孫。范泰の子。名門、順陽范氏の人。奇特ともいうべき奔放さがあり、度々不祥事を起こしては避難を買った。左遷された任地で『後漢書』を編纂した。後に、劉義康の反乱に加担したとして処刑され、一門は断絶した。
王弥
?-311年。字は子固。王頎の孫。洛陽を留学したとき劉淵と親交を深めた。劉柏根が東莱で挙兵するとこれに従った。劉柏根の死後は青州、徐州を中心に反乱を継続するが、まもなく劉淵に従った。西晋の洛陽を陥落させ、大将軍、斉公まで昇るも、石勒と対立し誅殺された。飛豹と称された。
慕容運
生没年不詳。慕容渉帰の子。慕容吐谷渾、慕容廆の弟。事跡に乏しいが子孫は興隆して、孫の慕容永は西燕最後の皇帝となったほか、同じく孫の慕容精、曾孫の慕容勝は姓を豆盧(とうろ)に変えて北魏から隋唐時代にかけて繁栄した。