李特
publish: 2021-05-07, update: 2026-04-19
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?-303年。巴氐の出身。斉万年の乱の時、流民となり蜀に移住する。趙廞の乱ではこれに従うが、趙廞が彼の弟を殺害したために、逆に趙廞を殺し実質的な蜀の支配者となる。のち益州刺史として赴任した羅尚と対立し、改元・自立を宣言した。羅尚に対して一時は優勢を維持するも戦死した。
関連
王沈
生没年不詳。宦官として劉聡に仕えた。劉聡が後宮に入り浸って朝政に出席しなくなると、劉聡に代わって朝政を取り仕切り、独断で人事を決裁した。その権勢は斉の易牙、蜀の黄皓に例えられ、多くの良臣を誅殺せしめた。劉聡の死後、事跡は定かではない。
夏侯玄
209年-254年。字は太初。豫州沛郡譙県の人。夏侯尚の子。昌陵郷侯。太常まで昇る。若くして名声を高めて曹叡からはその軽薄さを嫌悪された。興勢の役として蜀へ出兵するが成功しなかった。九品官人法の実務を批判した。李豊、張緝らと司馬氏一党を除く政変を企み露見して処刑された。
韓范
?-410年。慕容徳に従った南燕創業の臣。姚興と共に前秦の太子中舎人を務めたことが、後に後秦との和親に繋がった。劉裕が北伐したとき後秦に赴くも、援軍を得られないと知って南燕の天命を悟り東晋に降った。劉裕からは信任され南燕の旧領を委任されたが、劉穆之に謀反を告発されて処刑された。