王沈 ( おうしん )

publish: 2021-04-25, update: 2026-04-19

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生没年不詳。宦官として劉聡に仕えた。劉聡が後宮に入り浸って朝政に出席しなくなると、劉聡に代わって朝政を取り仕切り、独断で人事を決裁した。その権勢は斉の易牙、蜀の黄皓に例えられ、多くの良臣を誅殺せしめた。劉聡の死後、事跡は定かではない。

関連

呂光

338年-399年。字は世明。後涼の創建者。懿武帝。呂婆楼の子。氐の出身。前秦の都督西討諸軍事として西域を遠征し威光を広めた。その間に前秦は淝水の戦いで敗北しており、その後の混乱を知ると自立した。旧前涼の領土を掌握したが北涼、南涼の分離が相次ぎ勢力は急速に衰えた。

陳叔宝

553年-604年。字は元秀。陳の第5代皇帝。後主。陳頊の第1子。父陳頊の死後即位した。施文慶、沈客卿、江総ら奸臣を重用し、自らは飲酒や詩作に耽って政治を顧みなかったため、国政は乱れて国力は衰退した。隋の攻撃に降伏し、警戒されることなく余生を全うした。在位7年。

蘭汗

?-398年。慕容垂の母・蘭氏の弟、慕容盛の舅。段速骨が反乱すると呼応して龍城を陥落させた。段速骨を殺害して慕容宝を迎え入れようとしたが、弟・蘭加難が慕容宝を殺したため実現しなかった。大単于、昌黎王に即位し青龍と改元した。慕容盛を迎え入れたが慕容盛に謀られ殺害された。

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