慕容徳
publish: 2021-11-12, update: 2026-04-19
章節
標籤
336年-405年。字は玄明。南燕の初代皇帝。献武帝。慕容皝の子。前燕の范陽王。前燕が滅びると前秦に降って張掖太守を任じられた。淝水の戦いで前秦が大敗すると兄・慕容垂に従って後燕の車騎将軍となる。北魏の攻撃により慕容宝が北へ逃れると、山東半島で独立し皇帝を称した。
関連
徐光
?-333年。字は季武。頓丘郡の人。張賓の死後、石勒に重用された。父の徐聡は牛医であったが、戦乱のため幼くして王陽に捕らえられ労働に従事した。学識を認められ石勒に取り立てられた。石勒の不興を買って一時幽閉されるが、後に許され顕職を務めた。石勒の死後、石虎に誅殺された。
張茂
277年-324年。字は成遜。前涼の第3代君主。成公。張軌の次男。張寔殺害の主犯である劉弘らを処刑した。張寔の子である張駿を後嗣に指定して張寔の後を継いだ。前趙の西進を撃退しつつも前趙へ臣従し、硬軟織り交ぜて自立を保持した。病により死去。在位5年。
司馬越
?-311年。字は元超。東海王。司馬馗の孫。司馬泰の子。八王の一人。司馬乂を裏切って殺害した。司馬穎、司馬顒と対立して一時劣勢となるが、王浚らの援軍を得て司馬穎、司馬顒の排斥に成功した。司馬衷の死後、司馬鄴を擁したが、拡大する前趙を抑えられないまま、陣没した。