慕容儁
publish: 2021-07-29, update: 2026-04-19
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319年-360年。字は宣英。前燕の第2代王。景昭帝。慕容皝の次男。父の死後王位を継ぐ。石虎の死後混乱する後趙へ出兵し幽州・冀州を制圧する。冉魏を滅ぼして河北を掌握すると皇帝に即位した。河南への進出を企図するなか病没した。在位11年。
関連
蘇峻
?-328年。字は子高。長広郡挺県の人。西晋の安楽相・蘇模の子。永嘉の乱では掖県にて塢壁を築き、内外の評価を得た。青州を実効支配した曹嶷の討伐を受けると広陵へと避け、東晋の麾下に入った。王敦の乱で功績を挙げ高位に上ると、庾亮に異心を疑われ反乱した。一時は建康を落すも陶侃らの反攻を受け敗死した。
蕭荘
548年-578年。梁の第8代皇帝。永嘉王。蕭繹の子蕭方等の子。人質として北斉に送られたが、前代の蕭方智が陳霸先に禅譲したとき、北斉の支援を受けて帰還、梁の再興を図る王琳により皇帝に擁立された。陳、北周と交戦するが王琳の敗死により北斉へ亡命した。北斉の滅亡後に病死。
范長生
?-318年。字は元寿。涪陵郡丹興県の人。天師道の教祖。蜀の八仙の一人。李特らが益州に入って羅尚と対立したとき、青城山に拠点を構えていたため、羅尚の下で汶山郡太守に任じられた。食糧を供給して李流を支援し、李雄に従って丞相まで昇った。病没。