禿髪烏孤 ( とくはつうこ )

publish: 2021-11-12, update: 2026-04-19

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?-399年。南涼の創建者。武王。禿髪思復鞬の子。鮮卑禿髪部の出身。後涼に従ったが勢力を拡大させ続けた。呂光は禿髪烏孤の勢力を恐れて官位をもって懐柔しようとしたが応じず、王位を自称して独立した。落馬が原因で死去。

関連

劉植

?-26年。字は伯先。鉅鹿郡昌城県の人。王郎が挙兵して河北が揺れたとき、昌城県を守って劉秀を迎え入れた。真定王劉楊との婚姻外交を行い、郭聖通との縁組を成立させた。これにより劉秀の河北における地盤を固めた。驍騎将軍、昌城侯。

蕭方智

543年-558年。字は慧相。梁の第5、第7代皇帝。敬帝。蕭繹の第9子。西魏の侵攻を受けて江陵が陥落し父蕭繹が敗死すると、王僧弁、陳霸先らに擁立されて皇帝に即位した。北斉が後援した蕭淵明に帝位を譲るが、陳霸先に復位させられ、陳霸先に禅譲したのち殺害された。

劉煕

?-329年。字は義光。前趙の第6代皇帝。劉曜の第3子。後趙の洛陽攻略中に父劉曜が捕縛され殺害されたため、長安から上邽へと遷都した。長安回復のため兄劉胤を派遣するが石虎に敗れ、そのまま上邽を攻略する石虎によって処刑された。建国26年目にして前趙は滅亡した。

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