張賓
publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19
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?-322年。字は孟孫。趙郡中丘県の人。漢人。張瑶の子。張宝とも。初め西晋に仕官したが望みを得ず辞職した。石勒が中原に進出すると自ら出仕し、早くから側近としての信任を得た。王弥暗殺の計画をはじめ、多くの遠謀を持って石勒の絶大な待遇を得てなお、処世に誤りが無かった。病没。
関連
賈充
217年-282年。字は公閭。賈逵の子。賈南風の父。曹爽の失脚後、司馬氏に取り立てられた。曹髦殺害を指揮して罪に問われなかったように、司馬氏の腹心として絶大な信任を得た。派閥を好み、人事評価は好悪が先んじた。西晋建国の功臣として筆頭に挙がる。病没。
陸機
261年-303年。字は士衡。呉郡呉県の人。陸抗の子。始め呉の牙門将となったが、滅亡と共に隠棲し10年に渡って在野で学問にはげんだ。招聘されて張華、賈謐と親交を結んだ。司馬倫の政変に協力したために罪を得たが司馬穎に救われた。司馬穎政権に参与して讒言を受けた司馬穎に処刑された。
阮瑀
?-212年。字は元瑜。陳留郡の人。蔡邕に師事し奇才の評価を得た。曹操に仕えて司空軍謀祭酒を務めた。文章に優れて数々の公文書の起草に携わったが、詩の評価は高くない。建安の七子の一人。子の阮籍、孫の阮咸はともに竹林の七賢に数えられる。