蕭方智
publish: 2021-11-02, update: 2026-04-19
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543年-558年。字は慧相。梁の第5、第7代皇帝。敬帝。蕭繹の第9子。西魏の侵攻を受けて江陵が陥落し父蕭繹が敗死すると、王僧弁、陳霸先らに擁立されて皇帝に即位した。北斉が後援した蕭淵明に帝位を譲るが、陳霸先に復位させられ、陳霸先に禅譲したのち殺害された。
関連
拓跋普根
?-316年。代の第2代王。拓跋猗㐌の子。父・拓跋猗㐌の死後は中部拓跋部を継いだが、拓跋猗盧が三部を統合するようになるとこれに従った。拓跋猗盧が拓跋六脩に殺されると、拓跋六脩を殺して王位を継いだ。間もなく死去。在位は僅か一ヶ月。跡は子が継いだが名は伝わらない。
陽裕
生没年不詳。字は士倫。陽耽の甥。幼少に父を亡くし早くから自立した。幽州刺史和演の主簿となったが、王浚が和演を殺害して実権を握ると疎まれた。その後、段部、後趙と仕官先を変えながらも名声は高まり、後趙の段遼攻撃中に前燕に捕縛され慕容皝に取り立てられた。慕容皝の代に病没。
呉明徹
512年-578年。字は通昭。呉樹の子。梁に仕えて各武官職、刺史を歴任した。侯景の乱では陳霸先の信用を得て、陳の建国後さらに累進した。北伐を行い淮南を回復するが、三度に渡る呂梁の戦いの結果、北周に敗れて捕縛され、長安へ連行された。長安にて病没。