張耀霊 ( ちょうようれい )

publish: 2021-04-26, update: 2026-04-19

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343年-355年。字は元舒。前涼の第6代君主。哀公。張重華の次男。張重華が病を患うと10歳で世子に立てられる。張重華は謝艾に後見を任せようとしたが、遺詔は捏造され張祚に摂政が委ねられた。幼年を理由に張祚に廃され復位の兆しが出ると殺害された。

関連

夔安

?-340年。石勒十八騎の一人。天竺の出身であるが、遼東へ移り住んだ。傭兵稼業をする石勒と共に群盗となり各地を荒らした。石勒、石虎に従って文武を歴任した。晩年には、石鑑、冉閔、李農、張賀度、李菟ら五将を従え、荊州を攻めて東晋に名を響かせた。

慕容法

生没年不詳。南燕の中軍将軍、兗州刺史。 後に、征南大将軍、都督徐州揚州兗州南兗州諸軍事として南燕の軍事を支えた。 あからさまに慕容超を軽侮した。慕容超の即位後は不和が明確になり、慕容鍾、段宏と共に謀反するが、失敗して北魏へ逃亡した。

慕容熙

385年-407年。字は道文。後燕の第4代皇帝。昭文帝。慕容垂の子。慕容盛の死後帝位を継ぐ。皇后の苻訓英ともに贅沢を極め国力を傾けた。苻皇后の死後は精神を病んだ。葬儀のため外出すると高雲に龍城を占拠された。逃亡したが見つかり殺害された。在位6年。

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