沮渠蒙遜
publish: 2026-09-09, update: 2026-09-09
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?-447年。北涼の第3代王。哀王。沮渠蒙遜の第3子。沮渠蒙遜が病に倒れたとき世子で弟の沮渠菩提が幼いため立太子された。北魏と婚姻外交を行ったが、拓跋燾の妹である皇后武威公主が毒殺されると北魏の侵攻を受け捕らわれた。助命されるが財産隠匿の罪で処刑された。
関連
郗鑒
269年-339年。字は道徽。父の名は不明。郗慮の玄孫。司馬倫に仕えたが八王の乱で司馬倫が殺害されると処罰を免れて江南に渡った。司馬睿により兗州刺史に任じられ後趙と鎬を削る一方で、王敦・蘇峻の反乱鎮圧を経て北府軍団の母体を築いた。病没。
韋寛
509年-580年。字は孝寛。諱は叔裕とも。京兆郡杜陵県の人。韋旭の子。始め蕭宝寅に属したが、蕭宝寅が反乱すると離反して長孫稚、楊侃、源子恭らの属官を務めた。独孤信と並んで連璧と称された。間諜の扱いに長けて戦わずして斛律光の失脚を決定づけるなど、人間の機微に聡かった。
萬脩
?-26年。字は君游。扶風茂陵県の人。劉玄政権で信都郡信都県の県令となった。信都郡太守の任光に従い劉秀を迎えた。河北攻略、洛陽、南陽と転戦した。鄧奉の反乱によって宛で孤立し、間もなく病没した。右将軍、槐里侯。