沮渠蒙遜
publish: 2026-09-09, update: 2026-09-09
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?-447年。北涼の第3代王。哀王。沮渠蒙遜の第3子。沮渠蒙遜が病に倒れたとき世子で弟の沮渠菩提が幼いため立太子された。北魏と婚姻外交を行ったが、拓跋燾の妹である皇后武威公主が毒殺されると北魏の侵攻を受け捕らわれた。助命されるが財産隠匿の罪で処刑された。
関連
張玄靚
350年-363年。字は元安。前涼の第8代君主。沖公。張重華の末子。張祚が殺害されると宋混らに擁立される。幼年で跡を継いだため張瓘、宋混、張邕、張天錫と摂政を巡って権臣たちの勢力争いが続いた。最後は張天錫によって殺害された。在位9年。
慕容麟
?-398年。後燕の趙王。慕容垂の庶子。参合陂の戦いでは配下の慕輿嵩が擁立騒ぎを起こすなど、敗北の一因を作った。中山にて反乱を起こすが失敗して太行山に逃れ、慕容詳の悪政を機会にして慕容詳を攻め自ら即位した。北魏に攻められると鄴の慕容徳を頼った。後に造反し慕容徳に処刑された。
司馬越
?-311年。字は元超。東海王。司馬馗の孫。司馬泰の子。八王の一人。司馬乂を裏切って殺害した。司馬穎、司馬顒と対立して一時劣勢となるが、王浚らの援軍を得て司馬穎、司馬顒の排斥に成功した。司馬衷の死後、司馬鄴を擁したが、拡大する前趙を抑えられないまま、陣没した。