沮渠蒙遜
publish: 2026-09-09, update: 2026-09-09
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?-447年。北涼の第3代王。哀王。沮渠蒙遜の第3子。沮渠蒙遜が病に倒れたとき世子で弟の沮渠菩提が幼いため立太子された。北魏と婚姻外交を行ったが、拓跋燾の妹である皇后武威公主が毒殺されると北魏の侵攻を受け捕らわれた。助命されるが財産隠匿の罪で処刑された。
関連
袁渙
生没年不詳。字は曜卿。陳郡扶楽県の人。袁滂の子。劉備の秀才に推挙され袁術、呂布、曹操に仕えた。常に公正でいずれの主君からも礼遇された。魏の郎中令、御史大夫まで昇った。その死に対して曹操は涙し古い友人として穀物を下賜したという。
謝道韞
生没年不詳。字は令姜。謝奕の子。謝玄の姉。謝安の姪。王凝之の妻。才女として知られる詩人。降りしきる雪を風に舞う柳の花に例えて謝安を感嘆させた。柳絮(詠雪)の才の故事成語となる。孫恩の乱では賊を切り殺す気性の激しさを持った。夫とは不仲であった。
石祗
?-351年。後趙の第7代皇帝。新興王。石虎の子。冉閔が石鑑を廃して冉魏を建てると封地の襄国で皇帝に即位した。冉閔討伐の兵を興すも一進一退し、冉閔に敗れて保身を図った配下の劉顕によって殺害された。史書によっては君主として数えられない。