陸遜 ( りくそん )

publish: 2026-10-15, update: 2026-10-16

183年-245年。字は伯言。呉郡呉県の人。陸駿の子。幼くして父を亡くして廬江太守の陸康を頼ったが、袁術と敵対した折、一族を連れて本籍に避難した。山越の平定で躍進し、荊州の攻略、夷陵の戦いを経て呉の重鎮となった。二宮の変を要因に孫権と対立し憤死した。諡は昭。江陵侯。

三国名臣頌には呉の名臣の一人に数えられる。 その理由は、孫権からの信頼も甚だしく、実績も呉において第一の立場であったにもかかわらず、ほとんど諌死とも言える死に方をしたところにあるだろう。 愛憎は紙一重という。 孫権と陸遜は一歳差で、孫権にとって重臣は年上ばかりという状況で、孫権の代わりに各地を転戦する陸遜は、孫権には己の分身のようにさえ見えたかもしれない。

又孤與君分義特異,榮戚實同1

これは孫権の陸遜に対する信頼の表れのひとつであり、あるとき陸遜の上奏に対して孫権は「孤(孫権)と君(陸遜)の関係は特別で、栄光も苦難も同じくする」と応えて信任したものである。

二宮の変において、陸遜は孫権にたびたび諫奏したが、これに対して孫権は譴責で応じた。 互いに意見が異なっていたことの証左であり、君臣の関係として健全ではある。 しかし、これを機に陸遜が死んだことは、孫権にとって大きな喪失と後悔になったと思われる。 後に子の陸抗が上洛して弁明した際には、孫権は謝罪して譴責の書状は処分してほしいと陸抗に伝えた。

子女

出生順 爵位/諡号 名 生年 没年 生母 配偶者 備考
1 陸延 孫策の娘 早世
2 江陵武侯 陸抗 226 274 孫策の娘 張承の娘

子に恵まれたとは言えず、陸抗が家系を継いだのみで、女子は伝わらない。


  1. 『三国志』巻四十七 呉書二 ↩︎

関連

赫連勃勃

381年-425年。字は敖雲。夏の創建者。武烈帝。劉衛辰の第3子。匈奴鉄弗部の出身で去卑の後裔。父劉衛辰が北魏に敗れると後秦に従った。北魏に対して敗北を重ねる後秦を見限りオルドス地方で独立した。周辺国を圧迫し続けたが、後年は後継問題を引き起こした。病没。

乞伏暮末

?-431年。西秦の第4代の王。乞伏熾磐の子。乞伏熾磐の死後王位を継承した。北涼の攻撃により北魏への帰順を画策するが果たされなかった。夏の攻撃に降伏し、まもなく赫連定に殺害された。在位3年。

宇文贇

559年-580年。北周の第4代皇帝。宣帝。宇文邕の第1子。宇文邕の死後即位する。皇太子時代から資質を疑問視され宇文邕から厳しく教育されたが改善されなかった。在位1年足らずで子の宇文闡に譲位した。政治への興味がなく朝廷を楊堅に一任し、北周滅亡の要因を作った。

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